稲生武太夫碑
【いのうぶだゆうひ】
稲生武太夫は、16歳の時に体験した怪異を記した『稲生物怪録』によりその名を残している。
寛延2年(1749年)、武太夫はふとしたことから相撲取りの三井権八と共に比熊山に登り、触れると即死という大岩の前で百物語をやって帰宅する。しばらく後の7月1日の夜、突然自宅で怪異が起こった。翌日には家人を親戚宅に預け、武太夫は一人でこの家に滞在、そこから毎夜のように怪異が起こる。その怪異はまさに奇想の連続であり、武太夫を驚かして家から退散させようとしているかのようであった。しかし我慢に我慢を重ねた武太夫はついに30日間一切退去することなく、自宅で過ごしたのであった。
そして30日の夜、裃姿の男が現れた。男は山ン本大郎左衛門と名乗る魔王であり、この日を以て怪異を起こすことを止め、武太夫の勇気を褒めて木槌を授けたのである。
現在、比熊山の見える法務局の裏手に稲生武太夫の碑が建てられている。昭和3年(1928年)に商工会によって建てられたものであるが、ここが武太夫ゆかりの地となっている。法務局の土地が、稲生家の屋敷があった場所とされているが、実際に怪異が起こった自宅ではなく、親戚宅ということである。
<用語解説>
◆稲生武太夫
1735-1803。父は三次藩士(武太夫の生まれた時には三次藩は既に無嗣断絶)。16歳で家督を継ぎ、宝暦8年(1758年)に本家である広島藩に仕えるために広島へ移転する。
◆『稲生物怪録』
天明3年(1783年)に、武太夫の同僚であった柏正甫が本人から聞き出した話を書き留めた作品。さらに寛政11年(1799年)に平田篤胤が書き写し、それを校訂したものが世間に流布したとされている。これとは別に、武太夫本人が『三次実録物語』として書き記している。
これらの話を元に作られた絵巻物が数多く現存しており、明治以降は小説などに翻案されるなど、武太夫の体験談は多くのバリエーションを生み出している。
アクセス:広島県三次市三次町