三囲神社
【みめぐりじんじゃ】
創建は不詳であるが、平安時代頃にはあったとされる古社である。名称の由来は、この地を訪れた三井寺の僧が古社の謂われを聞き、掘り当てた壺から稲を持ち白狐に乗った老翁の像が出てくると同時に、どこからともなく現れた白狐が像の周囲を3度回って倒れ死んだことによるとされる。
江戸時代になってから三囲神社は有名になるが、それは宝井其角の雨乞い伝説による。たまたまこの地を通りがかった其角が村人の頼みを引き受けて、三囲神社で雨乞いをすることになった。そこで「ゆうだち(遊田地:夕立)や 田を見めぐり(三囲)の 神ならば」と一句奉納したところ、翌日になって雨が降り出したという話である。
おそらくこの逸話からその名を知ったのであろう。三囲神社は享保年間(1716~1736年)頃から、江戸に進出していた豪商三井家の篤い崇敬を受け始める。三井の店が江戸本町(現在の日本橋)にあり、三囲神社のある向島がちょうど鬼門に当たること。そして何より「三囲」の文字の中に“三井”の名が入っていることことから、崇敬を受けるようになったと言われる。
その後、明治以降から現在に至るまで、三囲神社は三井家との関係を維持してきた。実際、境内には三井家由来のものが多くあり、歴代当主らで没後100年を経過した御魂を祀る顕名霊社や、閉店した池袋三越の玄関にあったライオン像などが境内に置かれている。そして三井家の庭にあったとされる三柱鳥居も、この地に安置されている。
<用語解説>
◆宝井其角
1661-1707。松尾芭蕉に師事した蕉門十哲の一人。弟子の中でも筆頭格とされ、蕉風の確立に貢献した。芭蕉の死後は滑稽な作風となる。豪快な人柄で多数の逸話を残し、俳人の枠を超えて江戸っ子の人気を博した。
◆三井の江戸進出
三井家の家祖・三井高利は伊勢松阪の生まれ(1622-1694)。父の代から松阪で商売を始めて江戸にも店を出していたが、高利52歳の延宝元年(1673年)に江戸本町に「三井越後屋呉服店」を構えたのが現在の三井の始まりとされる。当時の呉服店としては異例の現金掛け値なし・店前売りをおこない、莫大な利を上げることに成功した。しかし当主の高利自身が江戸に定住することはなく(店の切り盛りも家族に主に任せていたとされる)、本店のある京都で晩年を過ごしている。
◆三柱鳥居
三囲神社にある三柱鳥居は、京都太秦の木島坐天照御魂神社(蚕ノ社)にある三柱鳥居を模したものである。呉服商としての三井は、江戸初期の絹織物の一大生産地である京都に本店を置いており、蚕ノ社近くの西陣と密接な関係を持っていたとされる。特に養蚕の神を祀る木島神社に対する崇敬は推して測るべしである。さらに三井の名にある「三」に繋がる縁起物ということもあって、三井家が模してこしらえたと考えるのが妥当である。
アクセス:東京都墨田区向島