浦島太郎の墓

【うらしまたろうのはか】

香川県詫間町に伝わる浦島太郎は、荘内半島にある“生里(なまり)”の地に生まれたという。父の名は“与作”、母の名は“おしも”。普通の漁師であったらしい。ところが“鴨ノ越”で亀を助けたことから、彼の人生は大きく狂ってしまう。

“生里”から“箱”へ住居を変えていた浦島がいつもように“どんがめ石”という場所で釣りをしていると、先日助けた亀が現れて竜宮城へと誘った。それからは、一番よく知られた『浦島太郎』のお話と同じ。だが、面白いのはこの半島の地名が全部『浦島太郎』のエピソードにまつわるのだという。竜宮城から乙姫 と帰ってきた浦島が宝を置いた場所が“積(つみ)”。別れ際に乙姫が腕輪を落としたのが“金輪の鼻”。そして玉手箱のふたを開けたのが“箱”で、その煙が 立ちのぼっていったのが“紫雲出山”という。さらに玉手箱のふたを開ける前に滞在していたのが“室浜(不老浜)”、開けて老人となって余生を送ったのが “仁老浜”ということになっている(ついでにいうと、この半島の先にある粟島には竜宮へ連れて行ってくれた亀の死骸を祀った“亀戎社”まである)。

そして、“箱”地区には浦島太郎一家の墓まで存在しているのである。今では周囲を整備して公園化している。多分五輪塔の一部だと考えられる3基の墓が一番奥に並べられている。これが両親と太郎の墓であるという。さらにその墓を正面から隠すように置かれているのが、諸大龍王の碑である。これは竜宮城の主である竜神と乙姫そして浦島太郎の霊を慰めることで、海上の安全と商売繁盛を願って納められたものである。いずれもこの地が古くから浦島太郎と ゆかりがあることを示しているものである。

アクセス:香川県三豊市詫間町箱