龍神宮

【りゅうじんぐう】

伊勢崎市内を流れる広瀬川の河川敷にちょっとした森がある。そこにあるのが龍神宮という神社であり、その森は“龍宮の森”と呼ばれている。群馬県という海のない場所であるが、ここには浦島伝説が残されている。

伊勢崎に残されている『口口相承龍宮本記』によると、このあたりは川の中から巨大な岩窟がそそり立つ淵であり、履中天皇の御代に高辺左大将家成という人がこの岩窟で遊んでいると、美女が現れて「この岩窟は龍神の正殿である。粗略にするではない」と言って消えたために、それ以降この場所を龍宮と呼ぶようになったとされる。また雄略天皇の御代に御子の岩城皇子が、龍宮姫と名乗る一人の乙女から岩窟の存在を聞き及びこの地を訪ねると、龍宮姫が現れて産土神として祀るよう頼んだともされる。

そして天文16年(1547年)、この地に住む阿感坊という者が川のほとりで藤ツルを伐っていると、誤って鉈を川に落としてしまった。川底に鉈があるのが見えるので取ろうと思うが、なかなか手が届かない。そうこうしているうちに、とうとう深みにはまってしまった。気付くと、川の底には御殿があり、現れた娘に「乙姫様が鉈を気に入ったので3日間だけ貸して欲しい」と告げられ、阿感坊は御殿で歓待を受けたのである。3日後、乙姫様から「龍宮のことは誰にも告げてはならない」ときつく言われ、玉手箱・瑪瑙玉・観音像をもらって地上に戻ってきた。しかし3日間だと思っていたのが、実際には3年もの月日が流れていた。噂を聞いた役人が詳細を尋ねるが、阿感坊は約束を守って答えなかった。すると役人は刀を振りかざして強要したので、やむなく阿感坊が話したところ、突然苦しみだして死んでしまったという。

この阿感坊こそが浦島太郎のモデルであるということで、この神社には亀の背に乗った浦島太郎の石像が置かれている。

<用語解説>
◆高辺左大将家成
南北朝時代の文和・延文年間(1352~1360)に成立した『神道集』に収められている“赤城明神”にまつわる縁起に高野辺左大将家成という人物が登場しており、おそらく同一人物として想定されているものと推測できる。17代履中天皇の御代は5世紀前半であると考えられている。

◆岩城(磐城)皇子
第21代雄略天皇の長子。同母弟の星川皇子は、雄略天皇の死後、実母にそそのかされ反乱を起こしたが、その時に二人を諫めたとされる。後に星川皇子は焼き殺され、異母弟の白髪皇子が22代清寧天皇となる。

アクセス:群馬県伊勢崎市宮子町