松前城
【まつまえじょう】
江戸時代、北海道に唯一あった藩が松前藩である。藩は幕末まで松前氏が代々務めており、その居城が松前城であった。この城には、この松前氏にまつわる2つの負の遺産が残されている。それが「闇の夜の井戸」と「耳塚」である。この2つの伝承はいずれも5代藩主矩広の治世の時のものであり、元は城の前の方にあったのだが、現在は2つとも人気の少ない裏手に並べて残されている。
「闇の夜の井戸」は、矩広の乱行を諫めた丸山久治郎兵衛が悪臣に謀られて生き埋めにされた井戸である。ある時、丸山は「殿の鉄扇が井戸に落ちたので取ってきて欲しい」と言われ、それが謀り事であることを承知で応じた。そして悪臣達は丸山が井戸に入ると、その上から大石を投げ込んで殺してしまった。その後、矩広の子が早世するなどの怪異が続き、祟りを怖れて井戸を埋めようとしたが、いくら土砂を流し込んでも埋まる気配はなかったという。さらに月のない夜になると、今なお井戸から呻き声が聞こえてくると言われる。
「耳塚」は、寛文9年(1669年)に起こったシャクシャインの戦いで処刑されたアイヌ側の首謀者14名の首の代わりに持ち帰った耳を埋めたものである。ただ塚と言っても、さして大きくない3つの黒石が残されているだけである。松前藩の横暴に対して立ち上がったシャクシャインであったが、東北諸藩の援軍を仰ぎ、鉄砲を多用する圧倒的な松前藩の戦力の前に劣勢となり、長期戦に持ち込もうとした。しかし和議を結ぶ宴席で騙し討ちに遭い、謀殺される。そしてシャクシャインの遺体は松前城門前に磔にされたという。
松前城には他にも、7代藩主・資広の正室がもののけを退治して皿を手に入れたという「手長池」の怪異などの伝承が残されている。
<用語解説>
◆松前藩
初代藩主は蠣崎慶広。松前の名は松平と前田の一文字ずつを取っている。石高はなく、アイヌとの交易によって藩の経済を成立させる。5代・矩広の代で1万石の大名となり、幕末には3万石にまでなる。
松前城は、ロシア艦隊に対する防備のために安政元年(1854年)に築城された。昭和24年に失火により天守閣は焼失、その後資料館として復元されている。
◆松前矩広
1660-1721。7歳で藩主となったため、藩政は一門が取り仕切った(シャクシャインの戦いの時も幼少のため直接指揮を執っていない)。一門による権力争いは「門昌庵」事件や上の「闇の夜の井戸」事件を引き起こし、幕府からも注意を受けている。後半生は善政を敷き、松前藩中興の祖とされる。
◆シャクシャイン
?-1669。日高地方に拠点を置くアイヌの首長。松前藩の不当な交易に対して蜂起を呼びかけ、戦いを起こす。戦いは不利となり長期戦を画策するが、和睦を受け入れる。しかしこれは松前藩の罠であり、和睦の宴席で謀殺される。
アクセス:北海道松前郡松前町松城