御墓山の碑
【おはかやまのひ】
国産み神話は、イザナミが火の神カグツチを産んだ際の大火傷で亡くなるという悲劇で終わる。そして『古事記』では、妻を失ったイザナギはその亡骸を「出雲国と伯耆国の境にある比婆山に葬った」とする。
現在、この“比婆山”と目される山が3つある。そのうちの1つが鳥取県日南町と島根県安来市の県境に山頂がある御墓山であるが、この“御墓山=比婆山”説を主導した人物が内藤岩雄(1874-1944)である。
内藤は現在の日南町の出身で、26歳で日野高等小学校の校長、さらに翌年に山上尋常高等小学校の校長となり、日南町の学校教育に大いに貢献した人物である。退職後は矢原神社の神職となり、『日野郡史』の編纂にも参加している。また隣接する奥出雲町との境にある船通山をスサノオの降臨地でヤマタノオロチ退治の場として、山上で宣揚祭を行うことを提唱したりもしている。
内藤の編纂した『日野郡史』によると、かつて御墓山及び一帯は“日向山(ひなやま)”と呼ばれていたとする。おそらくこれが比婆山の転訛であると推測していたのであろう。また御墓山が被葬地である根拠として、『古事記』に書かれた記述と、御墓山周辺の神社に祀られた神々との一致を挙げている。
現在、この御墓山の日野町側の登山道入り口には碑が建てられている。また山頂には小さな石祠が安置されているが、これらも内藤が提唱して昭和の初め頃に執り行われた宣揚祭の際に設けられたものであるという。信憑性はともあれ、御墓山をイザナミの被葬地=比婆山であるとする内藤の情熱は相当なものであったと感じるところである。
<用語解説>
◆比婆山比定地
御墓山以外の比定地2箇所は、島根県安来市伯太町にある比婆山と、広島県庄原市西城町にある比婆山となる。
アクセス:鳥取県日野郡日南町阿毘縁