河童封じ地蔵

【かっぱふうじじぞう】

標高124mの高塔山の山頂には夜景を楽しめる展望台があるが、その脇に人目を引く小さな建造物がある。このコンクリートで出来た建物の中にあるのが“河童封じ地蔵”と呼ばれる地蔵尊である。

堂内に入り、壁を背にしてある地蔵の横からその隙間を覗くと、背中の部分に金属の突起が見える。これが河童を封じるために打ち込まれた大釘である。そして以下のような伝承が残っている。

高塔山のある周辺は、修多羅と呼ばれる村であったが、昔その近くの池で一匹の河童が馬を引きずり込もうとした。ところが逆に馬に引きずられてしまい、とうとう庄屋に捕まえられてしまう。そこで河童は「二度と悪さはしない」と命乞いをしたため、庄屋は地蔵の背中に舟釘を打ち込んで、この釘がある限り決して悪さをしないと誓わせたという。

この河童の悪さを封じたという伝承をモチーフとして、地元出身の作家・火野葦平が『石と釘』という短編を仕上げた。

修多羅と島郷に棲む河童たちは毎夜のように上空で戦いを繰り広げ、翌朝になると戦いで死んだ河童の死体が粘液のようになって田畑に落ちており、近隣の人々は難儀していた。それを見かねた山伏の堂丸総学が河童を封じようと祈祷を始めた。この山伏の法力を知っていた河童たちは一時休戦して、祈祷を止めさせようとさまざまな妨害を繰り返すが、山伏はそれに屈することなく、祈祷は一向にやまない。そしてある時、山伏が地蔵の背に触れると、柔らかくなっている部分を見つけた。すると用意した大釘をその背中に打ち込んだ。釘を打つために経文を手放した山伏は河童によって襲われて力尽きたが、釘は見事に地蔵に打ち込まれたため、河童は全て封じ込まれてしまったのである。

この話はあくまで火野葦平の創作であるが、余りに有名になってしまったため、河童封じ地蔵の伝説として広く認知されるようになっている。

<用語解説>
◆火野葦平
1907-1960。若松出身の作家。『糞尿譚』で芥川賞受賞。『麦と兵隊』など“兵隊三部作”によって人気作家となる。河童を扱った作品を多く書き、自ら「文学の支柱」と称していた。
『石と釘』は昭和15年(1940年)に発表。最初は『伝説』という題であったが、単行本化の際に改題。

アクセス:福岡県北九州市若松区高塔山公園内