童女石
【どうじょいし】
胎内市には「越後胎内観音」という、青銅製の観音としては日本一の像がある。これは昭和42年(1967年)8月に起きた羽越水害の犠牲者の冥福を祈ると共に国土の安全や平和の祈念を込めて、昭和45年(1970年)に建立されたものである。そして、この観音像を祀る地に不思議な石が安置されている。
昭和46年(1971年)、この胎内観音に参拝した新潟市在住の男性が、近くで石を拾い持ち帰った。泥を落とすと、おかっぱ頭の少女の顔とはっきりと分かる石の模様が浮かび上がっていることに気付いた。おそらく先の水害で亡くなった人の念が浮かび上がったものと感じた男性は、この石を胎内観音にある帰林殿に納めたのである。これが童女石と呼ばれる石の来歴である。
大きさは大人の拳2つ分、それほど大きいものではない。また童女の顔の模様も数センチ四方のものであるが、ただ非常に鮮明なものである。またこれを見た地元の女性が、羽越水害で行方不明となった少女によく似ているという証言をしており、この石は奇怪な心霊現象として広く知られるところとなったのである。
だがこの帰林殿を訪れ、大切に安置されている姿を見ると、興味本位の恐怖感よりもむしろ荘厳な神秘を感じるところが大きい。石の模様を水害で亡くなった少女の霊の表象であると、多くの人が信じて祀っている事実そのものが、心霊現象であるか否かの論議を越えて、災害の記憶を後世に残そうという大きな意志を感じさせるのである。この童女石はまさしく“水害の伝承”として語り継がれるものなのである。
<用語解説>
◆羽越水害
昭和42年(1967年)8月28日、下越地方と山形県を襲った豪雨。死者行方不明者100名あまり、全半壊した家屋が2000軒を超える。旧・黒川村でも、前年に起こった大水害の復旧もままならぬ状況で、胎内川が鉄砲水となり、村全体が土石流の被害に遭った。黒川村での死者行方不明者は32人にのぼる。
アクセス:新潟県胎内市下赤谷