大黒石

【だいこくせき】

佐白山の山頂にはかつて笠間城があり、江戸期には笠間藩の藩庁があった。この城の起源を遡ると、初代笠間氏によって鎌倉時代前期には既に館が築かれていたとされる。さらに城が築かれる以前には、この山頂一帯には正福寺という広大な寺院があった。

正福寺は、七会にあった徳蔵寺とたびたび勢力争いをしていた。ある時、徳蔵寺の僧兵達は不意をついて正福寺を攻め立て、佐白山の中腹あたりまで兵を押し進めていた。あと少しで正福寺を落とせるという時、いきなり山頂付近にあった巨石が揺れ出すと、徳蔵寺の僧兵に向かって転がり落ちた(一説によると、正福寺側の僧兵が落としたともされる)。この石に押し潰される者、はね飛ばされる者が多数出て、徳蔵寺側は這々の体で逃げて行き、正福寺は難を逃れたという。

この時に転がった巨石がこの大黒石と呼ばれる岩である。名前の由来は、この岩は元々2つの巨石が並んでおり、1つは大黒様の姿に良く似ており、もう1つは大黒様がかつぐ大きな袋に似ていたため、そう呼ばれていたと言われる。転がり落ちたのはその“袋”の方であり、そして不思議なことに、もう一方の巨石はこの騒動の最中どこかに消えてしまったという。

この巨石は大きさが縦横が約5メートルほど、高さが約3メートルという大きさである。現在では“大黒”の名前が付いているためか、御利益をもたらすものとしての伝承されており、“へそ”と呼ばれるくぼみに続けて3回石を投げ入れて一度でも成功すると願いが叶うと言われている。実際、このくぼみにはいくつか小石が入っていて、今でもやっている人がいるようである。

<用語解説>
◆笠間氏
宇都宮氏の支流・塩谷氏を祖とする。元久2年(1205年)頃に僧坊間の争いに乗じて塩谷時朝が左白山を占拠して城を築き、笠間氏を名乗る。豊臣秀吉の小田原攻めの際に北条氏に与したため、宗家である宇都宮氏によって滅ぼされたとされる。

アクセス:茨城県笠間市笠間