鳴石

【なるいし】

大和朝廷が東国支配を果たしたとされるのが、5世紀頃。その東国との主要道として設けられたのが、東山道である。この道の途中に雨境(あまざかい)峠がある。この周辺は現在でも多くの祭祀遺跡が存在しており、その最も象徴的なものが、鳴石である。

この巨石は鏡餅が重なっているかのような奇麗な形をしている。しかし調査によると、これは一つの石が割れたのではなく、本当に人工的に重ねられたものであるという。しかも2つの石とも別の場所から意図的に運ばれてきたものであると判明している。それ故にこの岩の上で何らかの祭祀が執り行われたものであると考えてもよいと言われている。

鳴石の名の由来であるが、風が強く吹く時にこの石が音を立て、必ず天気が悪くなるという言い伝えによるという。さらに、天変地異にまつわる恐ろしい伝承も残されている。ある時、石工がこの石を割ろうと玄翁で数回叩いたところ、突然山鳴りが起こり、空から火の雨が降り注ぎ、石工は悶死したという。祭祀の施設であると同時に、この石そのものが神聖視された磐座であるということが分かる伝承であると言えるだろう。

ちなみに、雨境峠の祭祀遺跡は、蓼科山の神に対するものであると考えられている。その蓼科山には“ビジンサマ”という名の山の神が住んでおり、その形態は丸くて黒い雲に覆われ、赤や青の布きれのようなものが下に付いているという。何か鳴石の姿や伝承を彷彿とさせるような形である。

<用語解説>
◆東山道
近江・美濃から信濃を経て碓氷峠から上野・下野へと向かうされた道。この道の途中、諏訪から佐久へ抜けるところに雨境峠がある。

アクセス:長野県北佐久郡立科町大字芦田八ヶ野鳴石