水稲荷神社

【みずいなりじんじゃ】

加門七海氏の『平将門魔方陣』によると、この神社も平将門関連の地なのであるが、他の伝承地とは違和感がある。というのも、討伐した藤原秀郷との関連の方が大きいからである。この地に秀郷が稲荷神社を勧請したのが天慶4年(941年)、つまり将門を討った翌年となる。おそらく討伐が成功したお礼の意味合いが強いものであると思われる。

将門との関連はさておき、この神社の裏手には古墳がある。【冨塚古墳】というもので、藤原秀郷が最初に稲荷明神を勧請したのもこの塚の上であり、冨塚稲荷と呼ばれていた。そしてこの辺り一帯はこの塚の名前を取って【戸塚】と呼ばれるようになったという。(当時は、塚も神社も現在の早稲田大学の構内にあったのだが、昭和30年代後半に早稲田大学との土地交換によって現在の地に遷座している)

冨塚稲荷から水稲荷という名称に変わったのは、元禄15年(1702年)のこと。神木の根元から霊水が湧き出て眼病に効くという評判が立ち、さらに火難退散の神託があったことで改名となったとされる。

またこの神社には「耳欠け神狐」と言って、身体の痛い箇所と同じ部分を撫でると痛みがとれるという狐の像がある。

アクセス:東京都新宿区西早稲田