阿久留王の墓

【あくるおうのはか】

日本武尊の東征はその出立から相模国までの記述は詳しいが、走水海(浦賀水道)で愛妃の弟橘媛が自らを犠牲にして一行を上総国へ到着させてからは、突然のように大雑把な記述となっている。だが海路から上陸を果たした上総国には、記紀には書かれていない日本武尊の征討にまつわる伝承が残っている。

現在の木更津周辺に上陸した日本武尊の一行は、そこから南に進路を取って内陸部へ入り、鹿野山周辺を支配していた“鬼”を退治したとされる。この討伐された敵が“阿久留王”である。

阿久留王は、その出身地から“六手王”とも呼ばれ、鹿野山を根城に悪の限りを尽くしていたために、日本武尊の軍勢によって滅ぼされたという(しかしながら地元では、善政を敷いていたが、大和朝廷に目を付けられて逆賊として討ち取られたということになっている。このあたりの経緯は東北で猛威を振るった“悪路王”と非常によく似ている)。日本武尊に打ち負かされた阿久留王は鹿野山の西にある山に逃げ込んで、涙を流して命乞いをしたが許されることがなかったとされ、そのためにその山の名は“鬼泪(きなだ)山”と呼ばれている。そして二度と甦ることのないように八つ裂きにされた阿久留王の血は3日3晩流れ続け、その血が流れた川は“血染川”と呼ばれた(現在は“染川”と呼ばれる)。

鹿野山の名刹・神野寺の裏手にあたる雑木林の一角に、阿久留王の墓と言われる塚がある。この塚は八つ裂きにされた阿久留王の胴体を埋葬した場所とされており、現在では神野寺が管理して、月に1回法要がおこなわれているという。

<用語解説>
◆神野寺
推古天皇6年(598年)に聖徳太子によって開山とされ、関東最古の寺院とされる。本尊は薬師如来と軍茶利明王とされるが、阿久留王は軍茶利明王が化身したとされている。

◆もう1つの鬼泪山の伝説
日本武尊が鬼泪山で戦った相手は鬼ではなく、九頭龍という怪物であったという伝説も残されている。付近で暴れる九頭龍を退治しようと探索していた日本武尊は、逆に九頭龍に呑み込まれるが、その腹を割いて退治したという。神野寺の境内にある“九頭龍権現”が、それを供養して建立されたとも言われる。

アクセス:千葉県君津市荻作