善知鳥神社
【うとうじんじゃ】
「青森市発祥の地」と言われるほどその歴史は古く、創建の伝説は第19代允恭天皇の時代にまで遡る。陸奥国の外ヶ浜という地に、勅勘を受けた善知鳥中納言安方(烏頭大納言藤原安方とも)が住むようになり、やがて宗像三女神を祀る祠を建てたのが始まりとされる。その後、善知鳥中納言が亡くなると、どこからともなく見慣れぬ鳥が飛んでくるようになった。その鳥は、親鳥が「ウトウ」と鳴くと、雛鳥が「ヤスカタ」と鳴き、そのことから善知鳥中納言の魂が変化したものであり、“善知鳥”という名が付けられたとされる。
その後は荒れるに任せていたが、大同年間(806-810年)に坂上田村麻呂が社を再興。それからは各時代の領主の崇敬を受けて庇護され、現在に至っている。
ウトウという鳥は上にあるように親子の情が強い鳥として知られ、それ故に特別な鳥であると考えられたようである。さらに言えば、雛を捕られた親鳥は血の泪を流してあたりを飛んで探し回るという言い伝えまで残されている。そしてそれらの習性を巧みに織り交ぜ、外ヶ浜の地を舞台とした能の演目が『善知鳥』である。
越中国立山で一人の僧が、猟師の亡霊と会う。亡霊は陸奥国外ヶ浜にいる妻子に供養を頼むと蓑笠と着物の片袖を僧に渡す。それを持って僧が外ヶ浜を訪ね、供養を行うと、再び猟師の亡霊が現れる。生前、猟師は善知鳥を捕らえて生計を立てており、親鳥が「ウトウ」と鳴くと雛鳥が「ヤスカタ」と鳴くのを利用して、親鳥の鳴き真似をして雛を捕っていたという。生きるための糧とは言え、その報いのために猟師は地獄に堕ちて、化鳥となった善知鳥に責め苛まれ続けると訴える。そして我が子の元へ歩み寄ろうとするが、己の罪の深さ故か姿を捉えることが出来ないまま、消えてしまうのである。
<用語解説>
◆ウトウ
ウミスズメ科の海鳥。北日本の沿岸部に棲息する(南限は宮城県とされる)。繁殖期にはつがいで生活し、1個だけ卵を産んで育てる。親鳥は雛のために夜明け前から餌を採りに行き、日没直前に帰巣する習性がある。また子育てをしている期間である夏には、目の後ろから長く白い羽状のものが生える。
◆允恭天皇
第19代天皇。中国の史書である『宋書』に登場する「倭の五王」の一人である“済”であるとされている。その説に従えば、在位は5世紀中頃のこととなる。
アクセス:青森県青森市安方