八反坊
【はったんぼう】
庄原市東城町の粟田という所に、江戸時代の初め、八反坊という年貢の割り当てを決める役を務めた人がいた。年貢に関する事柄で貧しい者の味方をしたために、庄屋に無実の罪を着せられ、獄死(一説には餓死)したという。その八反坊の遺言が「庄屋の家の見える丘に墓を建ててほしい」というものであり、墓が出来てからは庄屋の家にはさまざまな災厄が降りかかり、ついには血縁の者が絶えてしまったという。(中岡俊哉氏によると、庄屋の一族の血縁が絶えたのは昭和に入ってからのことになるということである)
八反坊はまさしくその来歴からわかるように、正真正銘の「祟り神」である。しかし、強力な「祟り神」は転じて強力な「護り神」となりうる。現在では、八反坊も自らの呪いを成就させることで、大願成就の神として祀られる存在となっているようである。
アクセス:広島県庄原市東城町粟田