お菊井戸
【おきくいど】
姫路城内の上山里(かみのやまさと)と呼ばれる広場にあるのがお菊井戸である。その名の通り『播州皿屋敷』の伝承地となっている。
江戸期に作られたとされる『播州皿屋敷実録』では、播州の怪談話は次のように語られる。永正元年(1504年)姫路城主の小寺豊職が亡くなり、嫡子の則職が18歳で跡を継いだ。家老の青山鉄山はこの機に乗じて城を乗っ取ろうと画策、花見の宴での毒殺を企む。鉄山の動きに不審を感じた忠臣の衣笠元信は、妾のお菊を下女として鉄山の許に送り込んだ。やがてお菊は、父の企みを諫めて幽閉された息子の小五郎から暗殺の秘密を聞き、元信らがあわやのところで主の則職を救い出した。しかし鉄山と呼応して姫路を攻めた浦上氏によって則職は城を手放し、鉄山が姫路の主となった。
暗殺の企みが露見したことを訝しむ鉄山は、町坪(ちょうのつぼ)弾四郎に内偵を命じる。そして下女のお菊が張本人であることを突き止めるが、弾四郎は元より懸想していた相手だったために、妾になるように迫る。だがお菊はそれを拒絶。怒った弾四郎は意趣返しとばかりに、お菊が管理している小寺家家宝の“こもがえの具足皿”10枚のうち1枚を隠したのである。皿がないことが判ると鉄山はお菊を手討ちにしようとするが、弾四郎が取り持ってお菊を連れ帰り、言うことを聞くように松の木に縛りつけて折檻した。だがそれでも拒絶するお菊。遂に弾四郎は業を煮やして、お菊を殺し死体を井戸に投げ捨てたのである。やがて夜になると、屋敷の井戸から「一枚、二枚……」と皿を数えるお菊の声がするようになり、さらに怪異が続いたために、この地は皿屋敷と呼ばれるようになったという。
その後、元信らの忠臣が結集して姫路城は奪還され、青山鉄山は元の居城に逃げ込むが敗死。父の所行を恥じた小五郎は自害する。そして町坪弾四郎は、ぬけぬけと自分が隠し持った家宝の皿を手土産に帰順を請うが、逆に捕らえられ、お菊の二人の妹に討たれたという。さらに小寺家はお菊の忠節を讃えてお菊大明神を建立したのである。
史実と照らし合わせるとかなり矛盾の多い物語であるが、これを元にした人形浄瑠璃『播州皿屋敷』が寛保元年(1741年)に大阪で上演され、一躍有名になった。ただこの物語の原型となったであろう話が、天正5年(1577年)に出された『竹叟夜話』にあり、それによると嘉吉年間(1441~1443)の出来事であるという。
いずれにせよ、江戸番町の話と共に「皿屋敷伝説」の双璧とされる播州皿屋敷の伝承地として残される数少ない遺跡である。ただ姫路城内の配置から考えると、この井戸は実は城主の居住する御殿と繋がっており、いざという時の脱出用の抜け穴であるとの説もある。皿屋敷の伝説が伝えられるのは、怪異譚を流布させることで出来るだけ人を近づけないようにするためだったとも言われる。
<用語解説>
◆姫路城
正平元年(1346年)に赤松貞範による築城を嚆矢とする。その直後より城代として小寺氏が居城とする。大規模な城となったのは、戦国末期の黒田重隆(黒田官兵衛の祖父)の頃であるとされる。現在の天守閣などの城構えは、関ヶ原の戦いの後に姫路城主となった池田輝政によるものである。
◆小寺則職
1495-1576。小寺氏は室町期の播磨守護職の赤松氏の支流であり、赤松氏の有力家臣であった。史実では、豊職は祖父で延徳3年(1491年)に死去、父の政隆は享禄2年(1529年)に、同じ赤松氏の有力家臣であった浦上氏との戦いにおいて討死している。則職は享禄4年の大物崩れの戦いで赤松氏と共に浦上氏を壊滅させる。その後、則職が子の政職に家督を譲ると、次第に小寺氏は赤松氏と距離を置き、西播磨の小大名として独立していくことになる。
◆『竹叟夜話』
天正5年刊。播磨国永良庄に住む永良竹叟が著す。そこの書かれている皿屋敷伝説の原型と考えられる話は、以下の通りである。
嘉吉の乱(1441年)で赤松氏が一時的に滅びた後、播磨守護となった山名氏は、播磨の青山に家老・小田垣主馬助を置いた。主馬助は好色で、花野という妾を屋敷に囲っていた。そして出入りの郷士・笠寺新右衛門は花野に懸想したが相手にされなかった。それを恨みに思った新右衛門は、山名氏から拝領した小田垣家の家宝である“鮑貝の五つ盃”の1つを隠して、その罪を花野になすりつけた。さらに花野を松の木に縛りつけて折檻し、それでもなびかないために遂には斬り殺してしまったという。それ以降、花野の怨念が仇をなしたといい、縛りつけた松は“首くくりの松”と呼ばれた。
嘉吉の乱後に山名氏の播磨国守護代となったのは太田垣主殿佐であり、史実とほぼ一致する内容である(太田垣が守護代として青山にいたのは2年間であり、その後赤松氏によって追われている)。もしこれが原形の話であれば、番町皿屋敷とは異なる伝承の系統が存在することになると言えるだろう。
アクセス:兵庫県姫路市本町 姫路城内