城山稲荷神社

【じょうざんいなりじんじゃ】

かつての松江城内にあたる、城山公園の敷地内にある稲荷神社である。

創建は寛永15年(1638年)。この年、新しく松江藩主として領国入りしたのが、徳川家康の孫にあたる松平直政である。その直政の夢枕に現れたのが、一人の美少年。そして自らを稲荷真左衞門と名乗ると、「私はあなたを全ての災厄からお守りいたします。城内に住む場所を作っていただければ、城内はもちろん、江戸の屋敷まで火事から防ぎましょう」と言って消えた。そこで早速城内に稲荷神社を建てたのが、この城山稲荷神社であると言われる。そしてこの創建の由来故に、松江の町ではこの稲荷神社の守り札を火難除けとして各家庭に置いており、これを見た小泉八雲は“松江唯一の防火設備”と称すほどであった。

また小泉八雲が松江滞在中、毎日の散歩でこの稲荷神社を訪れていたとされる。所狭しと並べられた狐の石像がお気に入りだったらしく、とりわけ随神門そばにある一対の狐像を非常に愛でていた。現在では傷みが激しいために境内の覆屋に安置されている。

<用語解説>
◆松平直政
1601-1666。徳川家康の次男・結城(松平)秀康の三男。兄である松平忠直の下で大坂夏の陣に奮戦し、独立した大名となる。寛永15年(1638年)に出雲18万石の太守となる。その後明治維新まで松平家が松江藩主として続く。

◆小泉八雲
1850-1904。明治23年(1890年)に来日。初めは記者の身分で訪れるが、トラブルのために契約を破棄。その直後に知己の日本人の斡旋で英語教師として松江に赴任する。翌年、地元の士族である大泉セツと結婚。
松江滞在はわずか1年あまりであったが、日本文化や精神に触れる機会を得るには十分であったと考えられる。その後小泉八雲(“八雲”の名は、松江のある出雲の枕詞である“八雲立つ”から採ったとされる)として日本に帰化し、東京帝国大学の英語教師をしながら、セツが語る日本の怪異談をまとめた『骨董』や『怪談』などを発表した。

アクセス:島根県松江市殿町