駒岩 左馬

【こまいわ ひだりうま】

昭和28年(1953年)の南山城水害で、玉川沿いの対岸から巨石が転がり落ちてきた。推定数百トン級のものである。元々この岩には、大きさが約1メートル四方の馬が彫られており、駒岩と呼ばれていた。

この岩に馬の絵が彫られたのは保延元年(1137年)、川の治水や水争いを防ぐためであったと伝えられる。ところが、この彫られた馬が右半身ということから、おそらく左利きの職人が彫ったものであると言われだし、左利きなので「器用」という連想から江戸時代頃には芸事上達の神として信仰されてきた。さらに左馬は馬の字を反対に書くことで表記できることから、「うま」を「まう」と掛けて「舞う」、即ち女性の芸事上達を祈願するようになったとされている。

大水害で転がり落ちた際に、左馬の彫刻は地面の底側になってしまったが、地元の人々の努力で左馬のある部分が掘り下げられて、今ではしゃがみ込むような体勢で見ることが出来る。

アクセス:京都府綴喜郡井手町井手株山