金売吉次兄弟の墓

【かねうりきちじきょうだいのはか】

『平家物語』などにもその名前が記されている金売吉次であるが、実在の人物というよりもむしろ“当時の奥州から京都へ砂金を売りさばきに来た商人の集合体”のような位置づけが定着しているようである。しかし伝承の世界では、源義経を奥州藤原氏と引き合わせたキーパーソンとして重要な人物である。

白河市にある金売吉次の墓は、他の兄弟と合わせて3基の墓が設けられている。中央にある大きいのが吉次のものであり、左が吉内、右が吉六のものと伝えられている。地元の伝承によると、承安4年(1174年)に吉次兄弟は砂金の交易の途上、この地で群盗に襲われて殺されたとされる。ただこの年に義経は元服して奥州へ向かっており、伝承が正しければ吉次は義経を平泉に送り届けた直後に死んでいることになる。そして年代的な整合性を維持するためか、伝承では義経が後年にこの地を訪れて吉次兄弟の霊を慰め、近くの八幡神社に合祀したという後日談も残されている。

また殺した群盗の首領は藤沢太郎入道とされ、この時に砂金の入れていた革の葛籠を捨て置いたので、この土地の名を“皮籠”としたという地名由来の話も伝わる。だが、藤沢入道は、他の伝承では義経一行の奥州行きの道中で大勢の手下を率いて盗みを働こうとして、討ち果たされている。これらの伝承内容は、物語として流布したものが付け加えられながら形成されたものであると推測される。

吉次兄弟の墓である宝篋印塔は室町時代頃に造られたとされるが、実際には何度も積み直されており、その時に違う石塔の部分が使われていたりする。しかし地元の人々は今なお「吉次様」と呼び習わして、大切に保存している。

<用語解説>
◆金売吉次
『平家物語』では“橘次”とも表記され、奥州の商人ではなく、京都に店を構える富豪のような書かれ方もされている。また長者伝説の主人公である炭焼藤太と同一人物としている場合もある。ただ上に書いたように、“金売吉次”は特定の人物ではなく、当時奥州と京都を行き来して砂金を取引していた複数の商人をモデルとしていると考えた方が合理的である。

◆藤沢太郎入道
『義経記』に登場する盗賊。近江国の鏡の里で元服したばかりの義経を、手下100名と共に急襲するが返り討ちに遭ったとされる。この藤沢入道自体も架空の人物であるが、さらにそれらが統合されて出来たキャラクターが、大盗賊・熊坂長範であるとされる。

アクセス:福島県白河市白坂皮籠