清姫蛇塚

【きよひめじゃづか】

安珍清姫伝説で有名な道成寺の西、歩いて数分のところにあるのが清姫蛇塚である。

真砂の庄司家の娘であった清姫は、奥州の若い僧・安珍に恋い焦がれたが、それを怖れた安珍は熊野詣での帰りに立ち寄ると言って嘘をついて逃げる。清姫は裏切られたことに怒り、逃げる安珍を追っていく。そのうちに邪念によって清姫の身体は蛇体となりながら、徐々に安珍との距離を縮めていった。追いつかれると悟った安珍は道成寺に逃げ込み、鐘の中に身を隠したが、蛇となった清姫はその鐘を七巻半すると、その邪恋の炎で鐘の中にいた安珍を焼き殺してしまうのであった。

この清姫が変化した蛇であるが、鐘に巻き付いた時に己の吐いた炎によって自らも焼け死んでしまったとされる。しかし一説では、その時には死ぬことはなく、安珍を自らの手で殺してしまったことでようやく自身の罪の恐ろしさに気づき、さらに蛇体に変化したその醜い姿に絶望し、近くにあった日高川にその身を投げて命を絶ったという。人々はその顛末を憐れに思い、川から大蛇を引き揚げて埋葬し、その場所に塚を造った。それが清姫蛇塚であるとされている。

<用語解説>
◆道成寺
安珍・清姫の伝説で有名となったが、大宝元年(701年)文武天皇の勅願寺として創建。和歌山県下では最古の寺院とされ、藤原不比等の養女となり、文武天皇の夫人となった宮子姫(髪長姫)の伝承が残されている。(史実としては藤原宮子は不比等の長女とされている)

アクセス:和歌山県御坊市藤田町吉田