豊乗寺

【ぶじょうじ】

豊乗寺は、空海の弟弟子にあたる真雅によって嘉祥年間(848~851年)に建立された古刹である。かつては大伽藍があったが戦火で焼失、それでも現在ある本堂などは江戸時代中期に再建されたものである。また当時の繁栄を物語るかのように、国宝や重要文化財を複数所有する。

この寺院の門前から少し離れた場所に“蛇の池”と呼ばれる小さな池がある。

戦国時代のことと言われる。豊乗寺の北に惣地という村があり、そこの富農に清美という名の18の娘がいた。美しい娘であったが、当時新見を治めていた河村安芸守の息子である若侍と密かに恋仲となり、豊乗寺を越えた安芸守の屋敷の近くで逢瀬を重ねていた。

ある月の美しい夜、清美はいつものように安芸守の屋敷へ行き、若侍に会おうとした。しかしその日は屋敷が騒々しい。多くの人が出入りし、何か祝い事が行われているようであった。清美は人に紛れて屋敷に入ると、今まさに祝言が執りおこなわれようとしていた。しかもその席で花嫁の横にいるのは、恋仲の若侍ではないか。清美は、今自分がここにいてはならないとその場を離れたが、何が起こっているのか理解できなかった。

夜道を家に向かって歩きながら、清美はようやく裏切られたと悟った。身分が違いすぎるから恋が成就するとは思っていなかったが、その仕打ちに怒り、悲しみ、落胆した。激しい気持ちに、清美の歩みは徐々に乱れ始めた。いつしかうまく歩けないようになり、途中、豊乗寺の前の池のほとりにまでようやく辿り着いた。一休みと思い、池に顔を映した清美は、そこで初めて自分の姿が蛇体に変化しかかっていることに気付いた。美しかった容貌は鱗に覆われ、口が裂けて、目が爛々と月に反射していた。何もかも観念した清美は、その足で父母に別れの言葉を告げると、再び門前に戻りそのまま池の中へと消えていったのである。

その後、池のほとりには清美の霊を慰めるための祠が建てられた。そして一方の安芸守の屋敷では、新妻が失踪し、息子は出家したというが、清美の呪いであったかは定かではない。ただ村の言い伝えでは、清美の亡魂である大蛇は、惣地の北に位置する籠山に登って“蛇の輪”になったと言われる。山の中腹に、茅の木が輪のように自生した場所があり、晴れた日には、それがあたかも大蛇がとぐろを巻いているように見えるという。人々はその場所だけは手を付けることなく守ってきたが、今は“蛇の輪”を見ることはほとんどないとされる。

アクセス:鳥取県八頭郡智頭町新見