鳥越神社
【とりごえじんじゃ】
祭神は日本武尊。東征の折にこの地に留まったことを近在の者が尊び、白鳥神社を建立したのが始まりとされる。その後、永承年間に源義家が奥州征討へ赴く際、この付近を渡河しようとし、白い鳥に導かれて浅瀬を渡ることが出来たため、鳥越神社と改称したという伝承が残る。
しかし神社の由来書きにない伝承もある。それが平将門にまつわるものである。この鳥越神社は将門公の首が飛び越していったので「鳥越(=飛び越え)」という地名になり、この社名となった。あるいは、将門の身体はバラバラにされて江戸各地に埋められたが、この鳥越神社には手が埋められているという。
この神社と将門を結びつけるものはいくつかある。神社の紋を【七曜紋】としているところ(将門の紋は【九曜紋】であり【七曜紋】も同種とみなされる)。また宮司である鏑木家は将門ゆかりの千葉一族の中でもかなり由緒のある家柄であることが、挙げられるだろう。全く縁もゆかりもない土地ではないわけである。
<用語解説>
◆日本武尊
第12代景行天皇の第二皇子。父の命により全国へ征討をおこなう。鳥越の地に関する記述は記紀ともにない。死後白鳥となって飛び立っていったという伝説が残されており、日本武尊を祀る神社の名称は【白鳥神社】が多い。
◆源義家
1039-1106。八幡太郎の通称。前九年・後三年の役で源氏の関東地盤を確立させる。その剛勇ぶりから、後年超人的な英雄とされる。鳥越の伝承は永承年間とされるため前九年の役(1051年)の時の話と推察できる。
◆平将門と千葉氏
千葉氏の祖は、将門の叔父に当たる平良文。千葉という名は、源頼義・義家親子に臣従した頃から名乗るようになったと考えられる。家紋の【九曜紋】は千葉氏の妙見信仰を顕すものであり(将門も信仰していたとされる)、月星を示す紋様である。また【七曜紋】もそのバリエーションであり、北斗七星の数に合わせていると考えられる。なお鳥越神社と平将門を積極的に結びつけようとする着想は、加門七海氏の『平将門魔法陣』に詳しい。
アクセス:東京都台東区鳥越