神田明神

【かんだみょうじん】

正式名称は神田神社。元々この神社は平将門首塚のある場所(芝崎村)にあった。当初は大已貴命のみを祀る神社であったが、日輪寺を建立した真教上人が平将門を神として祀り、延慶2年(1309年)に合祀した。平将門という伝説的武将を祀っているために、戦国時代は多くの武将の崇敬を受ける。

江戸城増築の際に幕府が現在の地に移転させた。江戸総鎮守として江戸城の鬼門を守護する役目を果たすためである。

だが明治に入り、平将門は朝敵であり、天皇が参詣するには不敬であるという理由で祭神から外し、代わって少彦名命を勧請する(オオナムチとスクナヒコナという神の組み合わせは、よくあるケースである)。その後、昭和59年(1984年)になって、平将門は摂社であった将門神社から再び本殿の祭神として祀られるようになり、現在に至る。

さてこの【神田(かんだ)】という名の由来であるが、やはり将門の存在が見え隠れする。首塚が築かれたこの地は“身体のない遺骸を祀る山”と いうことで“からだ山”と呼ばれ、それがいつしか“かんだ”という名に転訛したのだという説がある。(ただし漢字から由来を探ると、昔この地が伊勢神宮の “神田”であったために付けられたという。ただし祭神の関係から考えると、少々無理がある部分もある)

<用語解説>
◆神田神社の摂社
摂社の中で最も重要と言えるのは、江戸神社である。この神社は江戸最古の地主神であり、牛頭天王=素戔嗚尊を祀る。江戸城拡張の際に、神田明神と同じく移転して、同社の摂社となる。
神田神社の摂社として素戔嗚尊が祀られているのは、さまざまな示唆に富んでいると言えるだろう。

アクセス:東京都千代田区外神田