安閑神社 神代文字の石
【あんかんじんじゃ・じんだいもじのいし】
旧・安曇川町は、第26代継体天皇の生誕地であり、古代史において非常に特異な地位を占めている。言うならば、大和政権の長である天皇家と密接に関わりを持つ大豪族が近江近在に勢力を伸ばしていたことになる。この安曇川地区で、さらにその古代史のロマンを掻き立てる物件がある。継体天皇の長子である安閑天皇を祀るとされる“安閑神社”が町内にあるのだが、その境内に置かれているのが、国内でも非常に珍しい“神代文字の石”である。(ただし、この石について言えば、文字として刻まれたにしては非常にバランスが悪いため、識者によってはこれを【ペトログリフ】であると考える場合も多い)
この神代文字が刻まれた石は元から神社にあったわけではなく、この周辺にあったものを移動させてこの神社に置いたものであり、それ以前の出自というものは全くの不明である。また隣に置かれている石は【力石(水口石)】と呼ばれており、神代文字の石とは全く時代も内容も異なるが、不思議な伝承を残しているものである。
<用語解説>
◆継体天皇
450?-531。第26代天皇。記紀によると、応神天皇5世の子孫であり、父が早くに亡くなったために安曇川を離れ、母の故郷である越前で成長する。506年に25代武烈天皇崩御となるが後継がおらず、大連・大伴金村の要請により即位する。ただし、皇室との血縁の薄さ、即位後20年近く大和に都を定められなかったなど、いわゆる王朝交代があったのではないかとの疑問も残る。
◆神代文字
漢字伝来以前に日本にも文字が存在していたという思想的背景から実在が推測されている文字である。その存在の根拠となるのが、漢字伝来よりも古くから卜占が行われているという記述が『日本書紀』にあり、占いを記録するために文字が必要であると説くようになったためである。しかし、各地に残されている神代文字と称するもののほとんどは室町期以降に公にされたものばかりであり、後世の神道家によって捏造されたとする向きの方が主流である。
◆ペトログリフ
文字ではなく線刻された紋様であり、古代人が残した意匠であるとされる。文字としての意味の体系はないが、何らかの意図を持って刻まれた内容であり、これらは環太平洋エリアではかなり多く残されているとされる。
◆力石(水口石)
『古今著聞集』に、高島郡石橋という場所に“大井子”なる怪力の美人がおり、田の水争いが起こった時に巨大な石で水を堰き止めた。その石は大きくて大人が何人がかりで持ち上がらなかったという。この堰き止めた石が力石とされる。また同じく、越前から京へ相撲の節会に参加するためにやってきた佐伯氏長に、大井子が相撲の手ほどきを教えたという話も残っている。
アクセス:滋賀県高島市安曇川町三尾