御手洗の井戸
【みたらいのいど】
佐賀市諸富町は徐福上陸地の有力な候補地であり、上陸にまつわる多くの伝承地が残されている。その中の一つが「御手洗の井戸」である。
この地に上陸した徐福一行であるが、きれいな水がなかったために井戸を掘った。そしてその井戸の水で、上陸時に汚れた手を洗ったので、「御手洗の井戸」と呼ぶようになったという。
その後、和銅3年(710年)に再びこの井戸は掘られたのであるが、その時に光を放ち、火災などの災厄は続発した。そのためにもう一度封印されることとなった。この時同時に「手洗い」の伝承から、この土地一帯を「寺井」という名に改めたという。そしてさらに年を経ること1000年以上、大正15年(1925年)に史跡調査をしたところ、偶然石で封印された井戸跡が発見され、これを徐福の御手洗井戸と認定したのである。
現在、徐福の井戸は個人宅の敷地内に小堂に覆われて大切に保存されている。
<用語解説>
◆徐福
生没年不明。秦の始皇帝にまみえ、不老不死の仙薬を求めて蓬莱の地へ向かう許しを得る。そして3000人以上の人を連れて東国(日本)へ旅立ったとされる人物。日本においては佐賀県をはじめ、全国各地に上陸した伝説が残る。
アクセス:佐賀県佐賀市諸富町寺井津