安倍晴明神社

【あべせいめいじんじゃ】

安倍晴明の先祖は、あの安倍仲麻呂であると言われている。伝承によると、唐より陰陽道の知識をもたらしたとされる吉備真備は、異国で客死した阿倍仲麻呂の霊の導きによってこの貴重な知識を持って帰国することができたとされている。安倍家そのものが陰陽道と浅からぬ縁を持っているわけである。

ところが晴明の父である安倍保名は既に朝廷に出仕するだけの身分ではなく、大阪に居を構える一土豪(しかも伝承によるとその所領すらも謀略によって奪われている)に没落してしまっている。そのため誕生から幼少時代までは、大阪が晴明伝説の主たる地になっている。特に阿倍野はその名の通り、安倍氏の所領であり、ここに晴明誕生の地として安倍晴明神社がある。

大阪の晴明伝説に絶対欠かせないのが、晴明の母親である葛乃葉姫=白狐である。この狭い神社に入ると、いきなり摂社に出くわす。泰名稲荷神社である。父親の名前(通称は“保名”)を冠した稲荷神社である。さらには最近 造られたと思われる狐の像まである。

そして生誕の地ということで、お約束とも言うべきか、産湯に使った井戸の跡が残されている。とにかく狭い境内の中に“安倍晴明誕生の地”という印象を与える数々の遺跡が並べられている。

神社の創建は安倍晴明没直後の1007年。江戸時代まではかなり格式のある神社であったらしいが、幕末から明治初期にかけて荒廃し、一時社殿すらなかったような状態だったらしい。そして大正時代に、すぐ近くにある安倍王子神社の末社という形で再興され、現在に至るとのこと。

<用語解説>
◆阿倍仲麻呂
701-770。霊亀2年(717年)遣唐留学生として唐に赴き、玄宗皇帝に仕えて官位を昇進する。最終的に大都督にまで昇進するが、帰国叶わず客死する。
陰陽道にまつわる伝承は『吉備大臣入唐絵巻』などにあり、陰陽道の秘本である『ホキ内伝』を得るために唐に渡るが、安禄山らの陰謀により憤死。後に同じ命を受けて入唐した吉備真備を助けるべく幽鬼となって出現、数々の無理難題を解く鍵を真備に授けて、秘本を得ることに成功させる。(実はこれは完全な脚色であり、仲麻呂と真備は同じ時に遣唐使として派遣され、真備の方が先に帰国している)

◆阿倍王子神社
仁徳天皇の頃に創建。安倍氏の氏神として祀られるが、後に熊野信仰が盛んとなり、その街道沿いにあることから王子社の1つとされる。現在大阪に残る唯一の王子社。

アクセス:大阪府大阪市阿倍野区阿倍野元町