八十場の霊泉

【やそばのれいせん】

崇徳上皇が崩御した坂出市周辺には、その死の直後に起こった奇跡的な現象の言い伝えがいくつか残されている。

白峯山で荼毘に付すための勅許を得る間の約20日間、崇徳上皇の遺体は【八十場の霊泉】に漬けられていたという。8月という、かなり気候的に保存が難しい季節にもかかわらずである。しかし、既にこの当時から“霊泉”として知られていた水である。多分腐敗することなく保ったと思われる。

八十場は“八十八”とも“弥蘇場”と記載される土地であり、崇徳上皇の事跡以前にも、次のような伝承が残されている。

景行天皇の御代(今から約2000年近く前)に瀬戸内海に“悪魚”という怪物がおり、近隣を荒らしていた。そのため天皇は息子である日本武尊(あるいは日本武尊の息子、讃留霊王)に退治を命じた。日本武尊は八十八人の部下を率いて悪魚を退治したが、その毒気に当てられて全員が昏倒した。そこへ神童が現れ、水を飲ませて正気に返らせたという。その水が、この八十場の霊泉であるという。このような言い伝えがあったからこそ、この泉に遺体を浸したのである。

<用語解説>
◆崇徳上皇
1119-1164。第75代天皇。1156年の保元の乱により、讃岐に配流。以後、崩御まで帰京を許されなかった。御陵も坂出市内にあり、帰京を許されなかったため怨霊と化したと言われる。

◆讃留霊王
12代景行天皇の皇子・神櫛王とも、日本武尊の皇子・武殻王とも言われる。悪魚退治の功績により讃岐の地を賜い、この地に永住したため讃留霊王(さるれお)と呼ばれる。景行天皇時代の領土拡張政策における四国の最高指揮官と目される。

◆清水屋
八十場の霊泉そばで心太屋を営んでいる。創業以来200年以上になるとのこと。

アクセス:香川県坂出市西庄町