葛葉稲荷神社

【くずのはいなりじんじゃ】

安倍晴明伝説の第一幕と言うべき地である信太の森にある神社である。この信太の森に祀られていたのが五穀豊穣の神である “保食神”であり、和銅年間(708-715)に元明天皇が祭事を行ったことが記録されている。その後この森には白狐が棲むとされ、稲荷神社が置かれるようになったらしい。安倍晴明の伝説がなくとも、かなり由緒正しい神社であることは間違いない。

この葛葉稲荷が安倍晴明と密接に関わっていく伝説は『蘆屋道満大内鑑』という浄瑠璃で完成され、特に“信太の子別れ”に集約されている。それによると、 没落し阿倍野に住んでいた安倍保名は、家名再興のために信太の森を通って聖神社に参詣していた。ある日その森の中で保名は傷ついた白狐を助け、自らもそれが原因で怪我を負った(狐狩りをしてさらに保名に危害を加えたのが、後に安倍晴明と死闘を繰り広げる蘆屋道満の弟という設定)。怪我をした保名を介抱したのが葛乃葉姫であり、それが縁で二人は結ばれ、童子丸という名の一人の男子をもうけた。

ところが童子丸が5歳の時、葛乃葉姫はうたた寝をしていて、その正体である白狐の姿を息子に見られてしまった。そして“恋しくば尋ねきてみよ和泉なる 信太の森のうらみ葛の葉”という一首を障子に書き残して去っていった。その後信太の森に帰った白狐は、夫と子供のことを思い続けて石になってしまったとも(葛葉稲荷神社にはこの霊石が安置されている)、母を慕って信太の森にやってきた童子丸(後の安倍晴明)に秘術を授けたとも言われている。いずれにせよ、定めによって母子が別れ別れになるくだりが、芝居として絶大な人気を博したのは言うまでもない。

葛葉稲荷はJRの駅から徒歩3分ほどのところにある。もはや“信太の森”と呼ばれるような広大な森は存在せず、神社の周辺に緑が残っているだけである。境内には白狐が葛乃葉姫に化身した時にその姿を映したとされる井戸があったり、夫婦円満に効験のある楠の木があったり、ある種かなりにぎやかな場所である。

<用語解説>
◆『蘆屋道満大内鑑』
「あしやどうまんおおうちかがみ」。享保19年(1734年)初演。竹田出雲作の浄瑠璃。信太妻物(葛葉伝説を扱った芝居・音曲の類)の代表作と言われる。

◆信太の名称
狐の好物が油揚げということで、油揚げを使った料理を指して「信太」と呼ぶ。信太鮨、信太巻など。

アクセス:大阪府和泉市葛の葉町