鬼の手掛け石
【おにのてかけいし】
またの名を“姥の手掛け石”。東北の地であるが、渡辺綱の伝承が残されている。
京の朱雀大路の羅生門で、渡辺綱は鬼と格闘して右腕を切り落とす。しかし取り逃がしてしまったために、切り落とした腕を石の長持に保管して、諸国を回って鬼を探し求めた。そして辿り着いたのが姥ヶ懐という地でであった(一説では、ここが綱の故郷であるとされる)。
滞在してまもなく、綱を訪ねてくる者があった。綱の伯母である。用件は、切り落とした鬼の腕を見たいということであった。綱は断り続けたが、伯母も全く引き下がらない。とうとう根負けした綱は、石の長持から腕を取り出して伯母に見せた。
しげしげと見つめていた伯母はやにわに腕を掴むと、ついに正体を現した。伯母に化けていたのは、羅生門の鬼。腕を取り返すと一散に逃げようとする。逃すまいと、綱は太刀を手にして斬り掛かる。囲炉裏の自在鉤を伝って、鬼は屋根の煙出から家の外へと飛び出すと、一気に川を渡ろうとした。ところが、あまりに慌てていたためか、そこで体勢を崩して転倒しかかる。思わず近くの石に左手をついて身体を支えると、そのまま川を飛び越えて逃げおおせてしまったのである。
これ以降、姥ヶ懐の土地では、囲炉裏に自在鉤も煙出も作らないようにしたと言われる。また節分の豆まきの時でも「鬼は外」とは言わないようになったという。
また異説では、金太郎を背負った山姥が川を渡ろうとして思わず滑って転びそうになって手をついた跡であるとも伝えられている。
川沿いの小社の一角に、囲いに覆われた石があり、今でも彫ったように四本の指の手形と思しきものが残されている。
<用語解説>
◆渡辺綱
953-1025。嵯峨源氏・源融の子孫。源頼光四天王の筆頭とされる。摂津国渡辺(大阪市中央区)に居住し、渡辺党の祖となる。
羅生門の鬼との戦いと、その後伯母に化けた鬼が腕を取り戻しに来る展開は、京の一条戻り橋で茨木童子と遭遇して名刀・髭切丸で腕を切り落としたという逸話を脚色して能の演目とした内容と同じである。
アクセス:宮城県柴田郡村田町小泉