続石

【つづきいし】

柳田國男の『遠野物語拾遺』第11話に、この続石に関する伝説が集約されている。

この不思議な石の造型は自然のものではなく、弁慶がこさえたものであるという。初め弁慶は近くにある別の石の上に、笠となる石を乗せた。ところが、乗せられた石は「自分は位の高い石なのに、その上に石を乗せられたままとなるのは残念である」と言って一晩中泣き続けた。ならばと弁慶は別の石を台石として、その笠石を乗せ直したという。そして泣き続けた石もこの続石のそばにあり、泣石と呼ばれている。またこれらの巨石がある場所に少しだけ開けた平地があるが、ここは“弁慶の昼寝場”と伝えられている。

上の乗せられた笠石の大きさは、幅7m、奥行5m、厚み2mという巨石であり、弁慶が持ち上げる時に付いたという足形が残っているとされる。奇異な巨石を見た人々が怪力の伝説の持ち主である弁慶が造ったものとして、ある種合理的な説明を残したのであろう。間近で見ると、その偉容に圧倒される。

柳田國男も『拾遺』で指摘しているように、形から見て続石は人為的なドルメンの一種ではないかという説がある。その説を強くさせるような奇怪な話が『遠野物語』第91話にある。

この本が出される十余年ほど前、ある鷹匠が続石の少し上の山の岩陰で赤い顔の男女と出会った。男女は手を広げて制止するよう警告したが、鷹匠は戯れに腰に下げていた刀を振りかざした。その途端、男の方に蹴られて気を失ってしまった。意識を取り戻した鷹匠は「多分今日の出来事で自分は死ぬかもしれない」と言い、果たして病死した。不審に思った家人が寺に相談すると、それは山の神であり、祟りを受けて死んだのだと告げたという。

人工物であるか、自然の為せる奇跡かは定かではないが、この続石の存在がこの一帯を神秘的で神聖な場所であると認識させていることに間違いがないと言えるだろう。

<用語解説>
◆『遠野物語』
明治43年(1910年)発行。遠野出身の佐々木喜善の語る遠野一帯の説話を柳田國男が書き留め、編纂し、自費出版したもの。日本民俗学の嚆矢とされる。

◆ドルメン
“支石墓”と言われる。数個の支柱となる巨石の上に天板状の巨石を乗せたもので、墓とされる。起源はヨーロッパであるが、紀元前500年頃に朝鮮半島に伝播したと考えられる。日本へは縄文時代晩期に伝わったとされるが、北九州の限られた地域で見られるぐらい、弥生時代の初め頃には途絶えてしまったとされる。
そのため続石についてはドルメンのような人工的な遺物ではなく、土石流などによって偶然に巨石が重なり合ったものであるという考えが一般的である。

アクセス:岩手県遠野市綾織町