南面の桜
【なんめんのさくら】
紫波町にある志賀理和気(しがりわけ)神社は、延喜式の式内社として最北にあるとされている古社である。創建は延暦23年(804年)、坂上田村麻呂が香取・鹿島の神を勧請したのが始まりとされる。
この神社の長い参道の途中にあるのが“南面の桜”と呼ばれる桜の巨木である。樹齢は500年以上とされている(岩手県下では最古の桜の木とされる)。この木には次のような恋の伝説が伝わっている。
元弘年間(1331~1334年)にこの地に下った藤原頼之は、地元の豪族・川村少将清秀の娘・桃香姫と知り合い、相思相愛の仲となった。そこで二人は、志賀理和気神社の参道に桜の木を植えて、行く末を誓ったのである。
ところが、しばらくして頼之は急に都に戻るように命ぜられる。二人は別れを惜しみ再会を誓ったが、あっという間に数年の歳月が流れた。ある年の春、桃香姫はかつて二人で植えた桜の木を訪れた。すると咲き誇る桜の花は、全て都のある方角である南を向いていたのである。この様子を見た姫は想いを一首の歌に託して、頼之の許へ文を出したのである。
南面(みなおも)の 桜の花は 咲きにけり
都のひとに かくと告げばや
この文を受け取って間もなく、頼之は迎えの使者を送った。そして桃香姫は都へ上り、頼之の妻となったという。
この伝説から、この桜の木は“南面の桜”と呼ばれるようになり、縁結びのご利益をもたらすものと信じられている。
アクセス:岩手県紫波郡紫波町桜町