若松寺 ムカサリ絵馬

【じゃくしょうじ むかさりえま】

山形の民謡“花笠音頭”の冒頭部分に登場する「めでためでたの若松様よ」は、この若松寺を指していると言われる。和銅元年(708年)に行基が開山し、後に慈覚大師が中興したとされる古刹であり、最上三十三観音札所の第一番札所でもある。特に縁結びのご利益で有名であり、“西の出雲大社、東の若松観音”とも称されている。

この縁結びのご利益のためなのか、この若松寺には数多くのムカサリ絵馬が奉納されている。かつては観音堂に掲げられていたが、重要文化財に指定されたために、現在では絵馬堂が設けられて保管されている。古いもので明治時代のものが存在するという。

ムカサリという言葉は、山形の方言で“婚礼”を意味する。「迎える、去る」が語源とも「む(娘)が去る」からきた言葉であるとも言われる。そしてムカサリ絵馬はこの婚礼の様子が描かれた絵馬であるのだが、これの奉納の目的は追善供養である。

【冥婚】という風習が、中国を中心に東アジアにはある。結婚する前に亡くなった子供のため、親などが死後の結婚を執りおこなうのである。日本では主に青森・山形両県で残る風習であり、幸薄かった子供を供養することが主たる目的である(中国などでは故人の供養であると同時に、一族の繁栄を願う側面もあるという)。死後の婚礼の様子を絵馬に描いて奉納するムカサリ絵馬の風習は、山形県の村山地方に集中しており、若松寺だけではなく、いくつかの寺院にも奉納されている。しかし納められた絵馬の数や残された絵馬の古さなどをを考えると、やはり若松寺がムカサリ絵馬の風習の中心的役割を果たしていると言えるだろう。

現在でもムカサリ絵馬の奉納はおこなわれており、若松寺のホームページでも告知されている。絵馬堂に納められている古い絵馬は婚礼の様子が多く描かれており、花婿と花嫁以外にも媒酌人などの立会人が描かれているものが多い。それに対して最近の絵馬は、花婿と花嫁の二人が立ち並ぶスナップ写真のような構図のものが主流のようである。また昔は親兄弟が描いた絵を納めるのが普通であったが、今では専門の絵師が描くものになっている。時代によって絵馬も変遷していくのである。ただし、今も昔も変わらない禁忌がある。生きている実在の人物の名前や肖像を使うと、その人は死者に連れて行かれると言われており、決してしてはいけないとのことである。

<用語解説>
◆青森の冥婚
青森では絵馬ではなく、花婿・花嫁の人形を納める風習となっている。最も有名なのは五所川原市の川倉地蔵尊であるが、ケースに収められた人形が所狭しと並べられた堂がある。

◆村山地方
山県市を中心に、東根市、天童市、寒河江市などがあるエリアを指す。ムカサリ絵馬の風習については、近年になってから周辺の地域にも広がっていると言われる。

アクセス:山形県天童市山元