水無瀬神宮

【みなせじんぐう】

元々は後鳥羽上皇の離宮があった場所に建立された。承久の乱によって隠岐に流された上皇の遺勅によって、仁治元年(1240年)に御影堂が建立され、上皇を祀ったことから始まった。その後明応3年(1494年)に隠岐より上皇の御霊を迎えている。さらに明治6年(1873年)に、承久の乱によって同じく配流された土御門上皇・順徳上皇もそれぞれ配流先である土佐と佐渡より御霊を迎えて合祀した。その際、それまでの仏式から神式に祀り方を変えている。

境内への入り口に、桃山時代に創建の神門がある。この柱に金網が施してある部分があるが、ここに石川五右衛門の手形が残されているという。

水無瀬神宮にある名刀を盗もうと思い立った五右衛門であるが、いざ神殿に忍び込もうとすると、神門から中に入ることが出来ない。結局、神威によって門内に立ち入ることすら出来なかった五右衛門は、神門に手形のみを残して立ち去ったという。

<用語解説>
◆後鳥羽上皇
1180-1239。安徳天皇の異母弟。安徳帝が平家と共に西国へ落ち延びたために、即位する。鎌倉幕府に対しては3代将軍・実朝を取り込んで安定を図るが、実朝暗殺後は対立。承久3年(1221年)に執権・北条義時追討の院宣を出すが、大敗を喫して隠岐に配流となる。藤原定家に『新古今和歌集』編纂を命じるなど歌人としても評価が高く、また刀剣を打つことを好んだとされる。

◆土御門上皇
1196-1231。後鳥羽天皇の第一皇子。承久の乱には関係していなかったが、実父である後鳥羽上皇配流のため、自ら志願して土佐配流となる(後に阿波へ移動)。

◆順徳上皇
1197-1242。後鳥羽上皇の第三皇子。父以上に倒幕の意志が強かったとされる。佐渡において病に倒れると、京に戻れる希望がないので存命は無益とし、断食をおこない自ら死を選んだという。

◆石川五右衛門
?-1594。京都三条河原で処刑されたことが、史料によって裏付けられており、実在の人物であるとされている。ただ大盗賊として数多くの伝説によって有名であり、歌舞伎や浄瑠璃などの演目にもたびたび登場している。

アクセス:大阪府三島郡島本町広瀬