海御前の墓

【あまごぜのはか】

寿永4年(1185年)、平家は壇ノ浦の合戦において敗れるが、その最期の合戦では多くの武者や女官が入水して果てた。平家の大将の一人であった平教経の妻(あるいは母)も、安徳天皇と二位の尼が入水するのを見届けると、自らも海の藻屑となった。そして数日後、壇ノ浦から少し離れた大積の浜に一人の美しい女官の遺体が打ち上げられた。村人はそれを哀れんで、浜に懇ろに葬ったとされる。それが海御前の墓である。

時代が過ぎ、壇ノ浦で亡くなった平家の一門の霊は、男は平家蟹へ、女は河童へ化身したとされた。そしていつしか平教経の妻は“海御前”と呼ばれ、女河童の総帥とみなされるようになった。この海御前は普段は周辺の河童を支配しているが、水が温む季節になると自由に解き放つという。そして源氏にゆかりの者を水に引きずり込むとされる。しかしソバの白い花が咲くと、その白い花を源氏の旗印のように恐れるともいわれる。

海御前の墓は、大積天疫神社の境内、水天宮のそばにある。墓以外にも海御前の碑や、河童の碑、はたまた河童のオブジェまである。またこの大積の地には「河童の詫び証文」と呼ばれる伝承も残されており、河童にまつわる伝承が多く残されている。

<用語解説>
◆平教経
1160-1185。平家一門の武将。平清盛は伯父に当たる。剛勇の将であり、都落ち以後の平家の中では主力の武将とされ、『平家物語』では源義経の好敵手として描かれ、壇ノ浦の戦いでは義経を追い回して「八艘飛び」をさせている。最期は敵方の安芸太郎・次郎兄弟を両脇に抱え込んで入水する。ただし史実の一説では、一ノ谷の合戦で敗死して京都で晒し首となったともされるが、それ自体が誤りであるという記録もあり、実際には不明な点も多い。また壇ノ浦の戦いでも落ち延びて、その後、祖谷に辿り着いてその地に留まったという伝説も残る。

◆平家一門と河童
九州の河童の総帥と言われる「巨瀬入道」は、平清盛の生まれ変わりであるとされており、水天宮に祀られている二位の尼(清盛の妻)に時々逢いに筑後川を訪れるが、その時は川が大荒れになるとされる。多くの者が入水して亡くなったという史実から、平家一門が水を司る神や妖怪に化身したという伝説が生まれたと推察される。

アクセス:福岡県北九州市門司区大積