梅林寺

【ばいりんじ】

安倍晴明を始祖とする安倍氏は、江戸時代になると土御門家として梅小路一帯(JR西大路駅北側)に屋敷を構えることになる。

梅林寺は、土御門家の屋敷のすぐそばにある土御門家の菩提寺である。つまり安倍晴明の直系子孫の墓が並ぶところである。ちょうど本堂の真正面にある中庭には、土御門家ゆかりの遺構がある。天球儀の台石である。水平な石の台の上には十文字に溝が掘られており、それぞれが正しい東西南北を指している。この台石の上に天球を置いて、天体観測(つまり暦作りなど、陰陽師としての仕事)をしていた訳である。

本堂の裏手には、一般の檀家の墓と混じって、土御門家歴代の墓がいくつかある。しかし、墓は一カ所に集められることもなく、他の墓に紛れ込むよ うにあまり広くない墓所に点在している。ただ一つだけまとまりがあるのは、墓碑に刻まれた名が「土御門」ではなく、すべて「安倍」という点である。

その墓に名が刻まれている一人、安倍泰邦は宝暦5年(1755年)に<宝暦暦>なる新しい暦を作成した陰陽頭である。そして梅林寺にある天球儀台石の側面には【土御門泰邦製】という文字が刻まれている。つまりこの台石は彼が暦の作成のために造ったものである可能性が高いと言えるだろう。

なお梅林寺は観光寺院ではないので、拝観の際には予約が必要です。

<用語解説>
◆土御門家
安倍晴明から数えて14代目の有世(1327-1405)を祖とする。実際に土御門を公的に名乗るようになったのは有脩(1527-1577)の頃とされる。応仁の乱以後若狭国名田庄に下っていたが、久脩(1560-1625)の代に徳川家康の命によって京都に戻り、陰陽道宗家と認められる。泰福(1655-1717)の代に全国の陰陽師の支配と免許の権限を得て、また土御門神道を確立する。

◆土御門泰邦
1711-1784。泰福の代に、幕府は貞享暦の実質的作成者である渋川春海を幕府天文方として採用し、暦の作成権を土御門家から取り上げる。それに対抗したのが泰邦であり、宝暦暦を作成して再度朝廷に作成権を取り戻した。ただしこの宝暦暦は精度が低く、実施数年で修正が加えられた。

アクセス:京都市下京区梅小路東中町