尖山
【とがりやま/とんがりやま】
富山市から立山へ向かう途中、美しい円錐形の山が見えてくる。標高559mの独立峰である尖山である。その形の美しさだけではなく、1つの山だけが独立してそびえている姿は、何かしら非自然的な印象を与える。
このような目立つ山は、大昔から信仰の対象となることが多い。尖山も山頂にストーンサークルのような人工的な石組みがあり、鏡などの出土品もあるという。間違いなく古代の祭祀場であったと推断される。そしてこのような祭祀跡のある、形の整った独立峰は、現代でもミステリースポットとして認識されることになる。
『竹内文書』では、尖山は上古第24代天仁仁杵身光天皇(アメノニニギノスメラミコト)の神殿(アメトツチヒラミツト)の跡であり、天皇はそこから天の浮舟に乗って、全世界を飛行したとされている。さらにその影響を受けた酒井勝軍は、尖山を人工のピラミッドであるとしている。
1970年代(日本でオカルトが認知される時期)以降、この尖山でUFOの目撃例が増加し、その離着陸のための基地の存在や、飛行のためのランドマークであるなどの諸説が取り沙汰された。また頂上付近には磁場がおかしくなる場所が存在しており、これもミステリー色を強める要因となっている(独立峰である故に、多数の落雷が頂上付近にあり、それが原因で磁気を帯びた石が多数あるのではとの説が有力だが)。
一方で、尖山には古くからの伝説も残されている。『肯搆泉達録』によると、舟倉山の姉倉姫が、心変わりした夫の伊須流伎彦と能登姫に対して石合戦を仕掛けた際に加勢したのが布倉山の布倉姫であったとされるが、この布倉山が現在の尖山であるという。ただ不思議なことに、姉倉姫が石を投げたのに対して、布倉姫は“鉄”を投げたとされる。やはり何かがある山なのかもしれない。
<用語解説>
◆『竹内文書』
昭和3年(1928年)、竹内巨麿によって公開された古文書。神武天皇より前にも皇朝が存在、イエスやブッダは修行のために来日など、史実とは異なる内容が書かれている。偽書とされている。
◆酒井勝軍
1874-1940。広島県の葦嶽山を“日本のピラミッド”として発見、それ以降数々のピラミッド発見をしている。日本のピラミッドは完全な人工物ではなく、元来あった山などを利用して石積みをおこなうなどして人工化したものであると主張している。また山頂に太陽石(磐座)があることなど、ピラミッドであるための条件をまとめている。
◆『肯搆泉達録』
文化12年(1815年)完成の越中通史。著者は富山藩士の野崎雅明。神話時代の伝説から前田氏による藩政までの通史を初めてまとめた著作である。
◆姉倉姫
越中と能登との大乱は両者間では収拾がつかず、最終的に大国主命が出雲から遠征して鎮圧した。姉倉姫は捕らえられ、呉羽の小竹野に囚われた後に里人に布織りを教え、罪を購うよう命ぜられたという(もう一方の伊須流伎彦と能登姫は処刑されたとも言われる)。その後姉倉姫は赦され船倉に戻った。現在、舟倉と呉羽には姉倉比売神社があり、祭神として祀られている。
アクセス:富山県立山町横江