有頼柳

【ありよりやなぎ】

第42代文武天皇の夢枕に神が立ち、「越中国を佐伯宿禰有若に治めさせれば平穏となる」とのお告げを受けた。ただちに有若に命が下され、一族と共に越中に下った。国境の倶利伽羅峠に至った時、1羽の白鷹が舞い降りた。吉兆とみなした有若はこの鷹を連れて国府に赴き、国を良く治めたのである。

越中に至った有若は神に祈って、有頼という子をなした。そして有頼16才の折、大切に飼っていた白鷹を借り受けて鷹狩りをしたいと申し出るが拒絶された。ならばと無断で鷹を連れていったところ、突然鷹が飛び立ってその姿を見失った。有頼は鷹が飛んでいった南へと探し回り、ようやく松の木に止まっていた鷹を見つけ出す。ところがあとわずかで手にしようとした瞬間、近くの藪から熊が現れたために鷹はまたもや空へと逃げ出した。怒った有頼は熊に矢を放ち、傷ついた熊も逃げ去っていった。鷹と熊を追い求めた有頼はさらに山奥へと入り、途中で三人の老婆に会ってその行方を聞き出すなどして、七日七晩かけてついに山上の高原にまで至ったのである。

高原を見渡すと、鷹と熊が1つの洞窟の中に飛び込んで行くのを見て、自分もその中に入った。洞内は光り輝き、阿弥陀如来と不動明王が立っており、如来の胸には自らが放った矢が刺さっていた。恐懼する有頼に対し、阿弥陀如来は、父の有若を越中に呼び寄せたこと、熊と鷹に変じて有頼をこの地に導いたことを語り、この山を霊山としてただちに開くよう諭したのである。大宝元年(701年)7月25日早朝のこととされる。こうして霊山・立山は開山したのである。

佐伯有頼が鷹を最初に逃がしてしまった場所に当たるのが、この有頼柳のあるところとされる(あるいは父・有若の屋形があった場所とされる)。今でもこの地は立山巡礼の出発地点とされており、この柳の木の横を流れる片貝川の河原の石を柳の木に乗せ、既に乗っている石を持って立山に登拝すると主神の立山権現が喜ばれ、願いを叶えてくださるという言い伝えが今なお残されている。

<用語解説>
◆文武天皇
683-707。第42代天皇。在位は697-707年。

◆佐伯有頼
伝承では676-759年の生没年とされるが、上にある伝説などの年号と照らし合わせると齟齬が生じる。その実在は全く伝承とされているが、立山開山の祖とされ、出家して慈興と名乗っている(入城の地が雄山神社・芦峅中宮祈願殿にある)。
なお父親の佐伯有若も長年伝説上の人物とされてきたが、延喜5年(905年)に書かれた佐伯院付属状(『随心院文書』)に「越中守従五位下佐伯宿禰有若」の署名があり、実在が立証されている。

◆立山開山縁起
現在では佐伯有頼の開山とされているが、鎌倉期成立の『類聚既験抄』では、無名の猟師が熊を射てその後を追ったところ熊が阿弥陀如来となったという話が残されている。また有頼ではなく父親の有若自身が開山に関わっているという伝承もある。

アクセス:富山県魚津市木下新