竹採塚

【たけとりづか】

日本最古の物語とされる『竹取物語』であるが、その伝承地と言われる場所がいくつかある。その中でもとりわけ有力な伝承地とされるのが、富士市の竹採塚である。ただし従来の物語とは異なる展開の伝承が、この地では流布している。

延暦年間(782~806年)の頃、この地に竹籠造りを生業とする老夫婦が住んでいた。ある時、翁は竹の中から一人の小さな少女を見つけ、それを大切に育てた。その少女は大きくなってかぐや姫と名付けられた。やがてその美貌は国司の知るところとなり、財宝を積んで招いたが、姫は応じなかった。そこで国司は姫の許に押しかけ数年間ともに暮らした。ある時、姫は自分が富士山の仙女であり、富士山へ戻ることを許して欲しいと願い出た。国司は認めなかったが、姫は1つの箱を残していなくなってしまった。悲しんだ国司は富士山の頂上へ行き、そこにあった大池の中に姫を見つけたが、既に姫は天女となってしまっていた。元の姿ではない姫を見た国司は、箱を抱いたまま池に身を投げて死んでしまったという。

竹採塚のある周辺は公園化されており、塚もその遊歩道に沿って歩いていけば見ることが出来る。塚には“竹採姫”と刻まれた石が置かれているが、どのような謂われで作られたのかは定かではない。ちなみにこの公園は市が整備したものであるが、土地は岡田氏という個人の所有であり、この岡田氏がかぐや姫を育てた老夫婦の子孫になるとされる。

またこの公園内には、江戸時代に名僧・白隠禅師の墓がある。この地は江戸時代に白隠が住職をしていた無量寺があり、白隠自身がこの寺の縁起を著した著作の中でも、この地がかぐや姫ゆかりの場所であることを記している。

さらにこの比奈の地にはかぐや姫の伝説から名付けられた地名が複数あり、姫が里の者と別れて富士山へと赴いたとされる“囲いの道”、その途中で振り返ったとされる“見返し坂”などが残されている。

<用語解説>
◆かぐや姫と富士山
富士山へ帰ってしまうかぐや姫のイメージは、この山の神である木花咲耶姫命(浅間大神)とだぶっており、両者を同一と見る向きは強い。また上の伝承で登場する国司と姫が神仏化して“冨士浅間大菩薩”となったという説もある。

◆白隠
1686-1769。臨済宗中興の祖とされる。駿河国沼津の出身。500年に一人とされる名僧であり、「駿河に過ぎたるもの二つあり、富士のお山と原の白隠」とも称される。

アクセス:静岡県富士市比奈