熊山遺跡
【くまやまいせき】
標高508mの熊山の山頂付近にある遺跡である。その形が日本で数例しかなく、それ故に謎の遺跡として知られる。
1辺11.7mの正方形の基壇の上に3層の石段が積み重ねられた形は、ある種ピラミッドを彷彿させるものであり、一時はピラミッド遺跡として喧伝されたこともある。しかし1辺5.2mの第2層の各側面にはそれぞれ「龕」と呼ばれる、仏像などを収めたと推測される穴が造られており、現在では仏塔の一種であるという定説になっている。石積みではあるものの、その形から考えて奈良の頭塔や大阪の土塔と同じ目的で建造された遺跡であることは間違いなさそうである。
元々この山には霊山寺という大寺が室町時代頃まであった。この寺院は、唐より来日した鑑真が奈良へ赴く途中で築いたものであるといわれ、この石積みも鑑真が造った戒壇跡であるという説もあった。実際、この遺跡は奈良時代前半頃に築造されたものとされる。熊山には他にも30基以上の基壇の跡が残されており、信仰の一大拠点であったことがうかがえる。
また大本教の出口王仁三郎はこの遺跡を“スサノオの御陵墓”とみなし、この遺跡には八岐大蛇を斬った剣(十拳の剣)も納められているとした。やはり他にほとんど例を見ない形の建造物が山頂にあることへの驚異が根底にあるものと想像に難くない。
<用語解説>
◆頭塔・土塔
頭塔は奈良県奈良市高畑町にある、7層の仏塔。その名の由来には奇怪な伝説が残されている。https://japanmystery.com/nara/zuto.html
土塔は大阪府堺市中央区土塔町にある、13層の仏塔。
◆鑑真
688-763。唐の名僧。戒律を日本に伝えることを要請され、5度の失敗を乗り越えて、天平勝宝5年(753年)に来日した。
◆出口王仁三郎
1871-1948。大本教開祖である出口なおの娘婿となり、教義の整備と共に教団発展に尽力し、「聖師」と尊称される。
アクセス:岡山県赤磐市奥吉原