先宮神社

【さきのみやじんじゃ】

諏訪大社の主祭神は建御名方命であるが、この神が元より諏訪の神ではなかったことは『古事記』にある通りである。出雲の大国主命の次男であった建御名方命は、国譲りの談判の際に建御雷神命に勝負を挑むが相手にならず、命からがら諏訪の地へ逃げ込み最終的に「この地から出ない」ことを誓って赦されるのである。そして諏訪地方を治める神として祀られることになるのだが、この来訪神よりも前から諏訪を治めていた神はどのようになってしまったのだろうか。

その一つの形を示しているのが先宮神社である。この神社の伝承によると、この神社の祭神は建御名方命来訪以前より原住民の産土神として祀られていた存在であったが、建御名方命との抗争に敗れて服従させられたとある。そしてその服従の証として“この神社に鎮座して境内より外へ出ない”ことを誓い、さらに“境内前の川に橋を架けない”習慣が連綿と続けられている。まさに建御名方命が出雲において強制させられた「国譲り」と全く同じ構図の伝承が残されているのである。

ただ不思議なことがある。この神社の祭神の名が“高光姫命”別名“稲背脛命”という点である。高光(照)姫命は建御名方命の姉神であり、稲背脛命は出雲の国譲りの際に事代主命(建御名方命の兄神)に事を告げる使者となった神である。いずれも諏訪に土着した神と言うよりも、建御名方が元いた地に関係する神の名である。それ故に『古事記』の記載された建御名方命の逸話が、中央にとって有利に作られたものであるとの疑念を持たざるを得ない。

しかしながら現在でもこの神社の前には狭いながらも川が流れており、境内に入る参道には橋が架かっていない。建御名方命に対する先宮神社の神の誓いが破られていないことは、とりもなおさず高天原に対する建御名方命の誓いもいまだに有効であることを示しているようにも見えるのである。

<用語解説>
◆建御名方命
『古事記』の国譲りの項で大国主命の御子神として登場する(大国主命の系譜が書かれた項では、御子神の中にその名はない)が、『日本書紀』では登場しない神。『先代旧事本紀』では、母は高志国(今の新潟県あたり)の沼河比売とされ、大国主命に代わって高志国の実質的な支配者のように扱われている。想像を逞しくすると、大国主命の国譲りが行われた段階で、高志を治めていた建御名方命は既に諏訪を支配しており(母の出身地である糸魚川にある姫川を遡り、安曇野経由で諏訪へ行ける)、最終的に高天原勢の攻勢に対して諏訪のみ死守したとも考えられる。『古事記』にある逸話も、実際は先宮神社の伝承が先にあって、それを中央政府が都合良く当てはめたものであるとも考えられる。

◆諏訪の産土神
建御名方命が諏訪を来訪する以前にあった神には、先宮神社の神のような服従ではなく、協力体制を敷いたものもある。建御名方命の妻となった八坂刀売神も土着の神であると推定されており、諏訪大社の筆頭神官であった守矢氏の祖である洩矢神も土着の神である。また諏訪信仰の根底にあるとされるミジャグジ神(蛇神)も先住民に信仰された神であるとされる。

アクセス:長野県諏訪市大和