岩井戸神社 猿鬼

【いわいどじんじゃ さるおに】

岩井戸神社は別名「猿鬼の宮」と呼ばれる。旧柳田村の伝説として伝わる猿鬼を祀ったとされるためである。

昔、このあたりで猿鬼という化け物が18匹の鬼を従えて、周辺の田畑を荒らし、娘を攫ったりと暴れ回っていた。かつて猿鬼は、大西山に住む善重郎という猿の手下であったが、棟梁の目を盗んで悪さを繰り返したので追い出され、いつしか化け物に変じたともいわれる。とにかく村人は猿鬼を大いに恐れ、隠れるように住んでいた。

やがて猿鬼の悪行は神々の知るところとなり、神々の集まる出雲で相談がおこなわれた。最終的に能登のことは能登の神が処するということで、大将に一之宮・気多大社の気多大明神が、副将に三井の大幡神社の神杉姫が選ばれ、猿鬼退治が始まった。

猿鬼は当目にある岩屋堂という洞窟に潜んでおり、そこを襲ったが、放たれる無数の矢をかわし、さらには手足や口を使って矢を受け止める始末。全く勝負にならなかった。神々は一旦引き揚げ、新たな策を考えた。すると「白布で身を隠し、筒矢を射よ」という声を聞いた。早速準備をすると、神杉姫が白布を使って洞窟の前で踊ってみせ、猿鬼たちはそれにつられて岩屋から出てきた。戦いが始まり。気多大明神が放った筒矢を猿鬼が受け止めると、筒の中に入っていた毒矢が飛び出して猿鬼の左目を突いた。慌てふためいて猿鬼はオオバコの汁で傷を洗うと、洞窟に逃げ込もうとした。それを追った神杉姫が名刀・鬼切丸で見事に猿鬼の首を刎ねて、神々が勝利したのである。

岩井戸神社の境内には、猿鬼が隠れ住んでいたという岩屋堂が現存する。今は窪みのような穴が残っているだけだが、昔は海まで通じていたと言われ、海の荒れた時には洞窟からイカが出てきたという伝説も残る。また、この周辺には猿鬼との戦いの時の伝承が地名として残されており、「当目」は猿鬼の目に矢が刺さった所、「大箱」は猿鬼が目の治療をした所、「黒川」は猿鬼の首を刎ねた時の血が流れた所など、かなりの数のゆかりの地がある。

アクセス:石川県鳳珠郡能登町当目