碧血碑

【へきけつひ】

立待岬から函館市内へ戻る一方通行の道の途中に、この碑へ至る参道と言うべき道がある。殆ど人気のない道を行った先にあるのが、高さ6mにもなる巨大な碑である。これが、戊辰戦争最後の戦いとなった箱館戦争の旧幕府軍の戦死者の慰霊碑、碧血碑である。“碧血”という言葉は「忠義を貫いて死んだ者の血は、地中で三年経ることによって碧玉と化する」という中国の故事から採られている。即ち、幕府に忠誠を誓った将兵の亡骸を納めた地に建てられた碑である。

箱館戦争に加わった旧幕府軍の兵は、約3000。鳥羽伏見の戦いから始まり、敗走を重ねるうちに最後まで残った、強硬論者ばかりの集まりと言ってよい。そのうち、明治2年(1869年)5月11日の箱館市内の最後の決戦を中心に、戦死者は1000に及ぶ。中には土方歳三、中島三郎助、伊庭八郎、春日左衛門といった名のある幕臣も多い。しかし、明治新政府はこれら戦死者の遺体を埋葬することを許可せず、朽ち果てるに任せたのである。

この政府の方針に異を唱えたのが、箱館の侠客・柳川熊吉である。熊吉は数百人もの子分に杯を返して累が及ぶことを避け、実行寺の日隆住職、大工棟梁の大岡助右衛門と共に実行寺に遺体を埋葬する。捕縛された熊吉は一身に罪を被り、裁判で死刑を言い渡される。しかし新政府側の田島圭蔵の尽力で無罪放免となったのである。

明治4年(1871年)、熊吉は函館山の一角に土地を購入し、実行寺に埋葬した遺体をここに改葬。さらに明治7年(1874年)に正式に旧幕府軍の戦死者の慰霊が認められると、ここに碧血碑を建立したのである。この際に、旧幕府軍の指導者であった榎本武揚や大鳥圭介らも協力を惜しまなかったという。

碧血碑の建つ脇には、小さな石碑がある。その義挙を後世に残すために有志によって造られた、柳川熊吉の義碑である。

<用語解説>
◆箱館戦争
新政府軍に最後まで徹底抗戦を唱える旧幕府方の将兵が箱館に渡り五稜郭を占拠し、独立政府を樹立させて戦った、戊辰戦争最後の戦い。明治元年(1868年)10月に松前藩と戦ってこれを破るが、翌年春からの新政府軍の本格的侵攻によって降伏する。

◆土方歳三
1835-1869。新撰組副長として京都の警護にあたり、勤王派の志士の取り締まりをおこなう。鳥羽伏見の戦いで京都を追われ、新撰組を率いて各地を転戦する。箱館戦争時には陸軍奉行並であった。5月11日の戦いで、馬上にて被弾して戦死。独立政府の首脳の中で唯一の戦死者。

◆中島三郎助
1821-1869。浦賀奉行所与力。ペリー来航時には、実質的な交渉責任者としてアメリカ側に応対する。その後、海軍伝習所に入り、榎本武揚の知己を得る。戊申戦争時には榎本と行動を共にして箱館へ。独立政府では砲兵頭並、箱館奉行並の役職に就く。箱館戦争の最後の戦いである千代ヶ岡陣屋の攻防戦で、守備隊長として2人の息子と共に戦死。

◆伊庭八郎
1844-1869。江戸の著名な剣術道場「練武館」の宗家嫡男。将軍の親衛隊である奥詰に登用され、さらに遊撃隊の一員となって鳥羽伏見の戦いに参加。その後、関東を転戦するが、箱根の関所を巡る小田原藩との戦いで、左手首を切り落とされ、一時遊撃隊を離脱する。箱館で再合流すると、遊撃隊隊長となる。4月に胸に被弾して致命傷を負い、五稜郭開城前日に自決。

◆春日左衛門
1845-1869。幕府旗本。江戸にあって彰義隊結成に参加、彰義隊頭並となる。上野の戦いで破れた後、彰義隊の一員として転戦し、仙台で榎本らに合流。箱館では陸軍隊を率いる。5月11日の戦いで戦死。

◆柳川熊吉
1825-1903。江戸浅草の出身。安政3年(1856年)に五稜郭建築に加わるべく箱館に赴き、請負業を始める。その後、同地で柳川鍋屋を開く(柳川の姓はここから付けられた)。箱館戦争後、賊軍となった旧幕府軍兵の遺体を禁を犯して埋葬する侠気を見せる。碧血碑造営後、榎本武揚から賭場の“お墨付き”を得て、侠客として北海道一円に勢力を張ったともいわれる。

◆榎本武揚
1836-1908。幼少時より学問に秀で、海軍伝習所に入所、さらにオランダへ留学する。帰国後、幕府海軍軍艦頭並となり、さらに海軍副総裁となる。幕府の徹底抗戦派の中心人物であり、幕府艦隊を率いて江戸を脱出する。箱館の独立政府では、選挙によって総裁に選出される。箱館戦争でも徹底抗戦であったが、最終的に降伏。その才能を惜しんで助命され、後に明治政府の6つの内閣で大臣職に就く。

◆大鳥圭介
1833-1911。播磨国の医師の子として生まれ、幕臣となる。兵学や工学を修め、幕府陸軍の幹部となる。新政府に対して徹底抗戦を主張し、指揮下にあった伝習隊を率いて江戸を脱出して各地を転戦する。箱館では陸軍奉行として戦う。降伏後は投獄されるが特赦される。明治政府では工業技術官僚として官営工場を統轄、さらに日清戦争直前の清や朝鮮で外交官を務める。

アクセス:北海道函館市谷地頭町