赤墓

【あかはか】

函館山の麓にある外国人墓地の一角にある、奇妙奇天烈な墓である。とにかく表も裏も真っ赤に塗られている。葬られているのは“天下の号外屋”と自称した信濃助治。

案内板によると、助治は明治27年(1894年)6月に本州から函館へやって来た人物である(それまでの来歴ははっきりしないようだ)。上着から足袋に至るまで全身赤尽くめの格好で突如函館に現れて、人々の度肝を抜いたらしい。“天下の号外屋”という名は、日清戦争関連の記事の載った北海道新聞号外を町で撒いたことから始まるらしい。全身赤尽くめの男が号外を撒くのであるから、目立つことこの上なかったのは想像に難くない。

何故赤色を好んだかについては、“赤心”という言葉が武士の精神を表すものであり、その精神を表しているのだと言われている。助治の赤好みは服装だけではなく、住んでいた家まで赤に塗っていたという。当然、この墓も当人の遺志によって赤く塗られており、今なお年1回親族によって塗り替えられているという。

ただこの奇抜な色が故に、この墓そのものにまつわる怪しい噂があり、墓の裏の漢文を声を出して読むと祟られるとか、実は本当の赤墓が外国人墓地の奥にまだあるのだとまことしやかに言われ続けている。

<用語解説>
◆函館の外国人墓地
安政元年(1854年)にペリー艦隊の水兵2名を埋葬したのが始まりとされる。明治3年(1870年)に正式に外国人墓地として整備される。

アクセス:北海道函館市船見町