國前寺 稲生武太夫の墓

【こくぜんじ いのうぶだゆうのはか】

日蓮宗の寺院で、広島藩浅野家2代藩主の浅野光晟の正室・満姫が帰依したことから、浅野家の菩提寺となる(その後、幕府禁制の不受不施派であったために菩提寺ではなくなる)。現存する本堂と庫裏はその当時に建てられたもので、原爆の爆風によって傾いたものの修復され、国の重要文化財として指定されている。

國前寺と言えば、1月7日におこなわれる「稲生祭」が有名である。

稲生武太夫は、三次に住んでいた16歳の時に、肝試しに比熊山に登った直後から、屋敷に化け物が毎夜現れて脅かされる。ところが全く動ずることなく、一ヶ月後にとうとう魔王・山ン本太郎左衛門(山本五郎左衛門)が現れて武太夫の勇気を褒めて木槌を授けたという。この時の怪異譚は『稲生物怪録』として残されており、広く世に知られている。そして國前寺には、武太夫が授かったとされる木槌が残されており、この「稲生祭」の日にのみ公開されるのである。

さらには、本堂裏手の一画に稲生武太夫の墓がある。いくつかの墓碑などと共にある五輪塔がそれである。しかし特に案内板もなく、ひっそりと佇んでいるという風である。

<用語解説>
◆稲生武太夫
1735-1803。三次藩御徒組として12石4人扶持の藩士であったとされる(実際は、広島浅野藩の支藩であった三次藩は、享保5年(1720年)に藩主夭折のため廃藩となっている)。後に旧三次藩士は広島へ移転し、浅野本家に仕えている。自身が寛延2年(1749年)に体験した怪異を記録した『稲生物怪録』を記す。

◆浅野光晟
広島県広島市東区山根町1617-1693。広島藩2代藩主。次男であるが、正室の子であるため家督を継ぐ。その際、庶兄の長治は5万石を分与され、三次藩を起こす。

アクセス:広島県広島市東区山根町