念興寺 鬼の首
【ねんこうじ おにのくび】
この寺には「鬼の首」と呼ばれる、頭部より2本の角の生えた頭蓋骨が安置されている。寺伝によると、元禄7年(1694年)に粥川太郎右衛門の死去に伴って寺に納められたとのこと。この太郎右衛門は、この鬼を退治した藤原高光の子孫であるという。
天暦年間(947~957年)、この地の近くにある瓢ヶ岳(ふくべがたけ)を根城に付近を荒らし回った鬼があった。その知らせを聞いた朝廷は藤原高光を派遣し、高光は見事にその鬼を退治したと伝えられる。
鬼の首は本堂内の厨子に安置され、住職の説法を聞きながら拝観する(拝観料250円。法事などで拝観不可の場合も)。頭蓋骨は普通の人間より一回りほど大きいように見え、生えている角以外も何かしら異形の雰囲気を漂わせている。そして撮影は一切禁止。これには、かつて漫画家・永井豪が『手天童子』取材のために写真撮影をしたが、その直後から周囲で異変が頻発したため、写真を寺に納めたところ怪異が収まったという逸話が発端であるとまことしやかに言われている。
<用語解説>
◆藤原高光
939-994。右大臣・藤原師輔の八男。和歌に優れ、三十六歌仙の一人とされる。応和元年(961年)に、父の死を契機に出家、同母弟の尋禅(後の慈忍和尚)の元で良源(元三大師)に師事する。後に比叡山を離れ、多武峰に移り住む。
この地方において最も流布している高光の伝説では、高賀山で「さるとらへび」という怪物(頭は猿、胴は虎、尾は蛇という、鵺の怪物と同じ姿)を退治し、高賀六社を創建したとされる。
◆『手天童子』
週刊少年マガジンに昭和51年(1976年)から連載された漫画。怪異の顛末については『わたしの怪奇ミステリー3』(学研)に詳しい。
アクセス:岐阜県郡上市和良町沢