松尾大社
【まつのおたいしゃ】
四条通を西へ進み、桂川と交わる松尾橋を渡りきると、巨大な鳥居が見える(京都で2番目の大きさとのこと)。これが松尾大社の一番最初の入り口である。
松尾大社の起源は平安京より古い。この地に住み着いた秦氏が大宝元年(701年)に建てた神社であるが(明治時代になるまで松尾大社の神官は秦氏が務めていた)、実際はそれ以前から山自体が信仰の対象となっていたらしい。いわゆる「磐座」と考えられる巨石が裏山にある。それ故、松尾大社は京都で一番古い神社であるとされている。だがそのような古さだけではなく、松尾大社は平安京設営にあたって非常に重要な役割を果たしている。
平安京以前に京都の地にあった大きな神社は賀茂神社(上賀茂神社・下鴨神社)と松尾大社の三つであったという。最初の大内裏は賀茂神社と松尾大社を直線で結んだ真ん中辺りに造営されたのである。というよりも、賀茂神社が大内裏の鬼門の位置、松尾大社が大内裏の裏鬼門の位置と言った方が正しい。それ故か「賀茂の厳神、松尾の猛神」と並び称される。
この神社の祭神に【大山咋神(おおやまくいのかみ)】がおられるが、この神様は松尾の山の神であると同時に比叡山を支配する神であるという。想像をたくましくすれば、<鬼門:賀茂神社・比叡山-裏鬼門:松尾大社・松尾山>という図式が成り立つ可能性があるのかも知れない。
秦氏との関連が深い松尾大社は良い水が湧き出る場所としても知られ、醸造の神様としてその名を知られるようになる。特に【亀の井】と呼ばれる湧き水は、それを醸造の際に入れると酒が腐らないと言われ、日本全国からそれを求めて酒造家が参拝に来る。また松尾大社にとって“亀”は縁深い存在であり、この山の 谷で奇瑞をあらわした亀が見つかり、元号が【霊亀】とされたという記録も残っている。
<用語解説>
◆秦氏
渡来人系の豪族。応神天皇の頃に弓月君(ゆづきのきみ)が朝鮮半島より渡来したのが祖となる。現在の京都市右京区太秦などを本拠とする。また京都都市伏見区深草にも拠点があり、伏見稲荷大社も秦氏が創建したとされる。人物としては、聖徳太子を補佐したとされる秦河勝が最も有名。
アクセス:京都市西京区嵐山宮町