八雲神社 晴明石
【やくもじんじゃ せいめいいし】
JR北鎌倉駅から大船方面へ向かうこと200メートルほど。小高い丘の上に八雲神社がある。ここに【晴明石】と呼ばれる石がある。
この石も全国各地に散らばる安倍晴明伝説の一つなのだが、この石自体にも不思議な伝承が残されている。もともとこの石は鎌倉街道沿いの橋のたもとにあり、この石が【晴明石】であることを知らずに踏むと足が丈夫になるが、知って踏むと不幸に見舞われるというのである。このような災厄をもたらすものは安倍晴明関連の遺跡の中でもかなり珍しい。
【晴明石】が八雲神社に祀られるようになったのは、戦後の昭和30年代のことらしい。鎌倉街道の拡張工事をした際に往来の邪魔になるということで移設したとのこと。
かつてこの山ノ内周辺に安倍晴明が【鎮宅霊符神】の札を貼った家があり、その後200年間火災に遭わなかったと伝えられる。【晴明石】が水を祀るもので火難除けの効験あらたかであるという伝承と図らずも一致する。
しかもこの石が最初に置かれていた場所は、鎌倉街道沿いの“十王堂橋”。つまり【晴明石】のあった橋の近くには“十王”を祀る御堂があったと推察される。この“十王”の中心にあるのが“閻魔王”である。さらに現在【晴明石】が置かれている“八雲神社”であるが、この名の神社は明治以前はほぼ間違いなく“牛頭天王社”として“素戔嗚尊”を祭神としている。
これら“閻魔王”“牛頭天王”“素戔嗚尊”と同一神であると言われるのが“泰山府君”、まさに陰陽道における最高神なのである。謂われのない橋のそばに偶然あったのでもなく、移設の際に最寄りの神社という理由だけで選ばれたわけでもないと言えるだろう。
<用語解説>
◆鎮宅霊符神
凶宅に住みながら裕福な劉名進が神より授かった霊符を、漢の文帝が広めたのが嚆矢とされる。家内安全・無病息災に効験がある。通例では【鎮宅七十二霊符】として72枚の霊符でまとめられている。その中心にあるのが鎮宅霊符神である。日本伝来後、北辰北斗信仰と結びつき、陰陽道において発展する。御姿は北辰北斗になぞらえ、玄武に乗っている。
◆十王
地獄にあって、亡者に審判を下す10人の王。秦広王(しんこうおう)、初江王(しょこうおう)、宋帝王(そうたいおう)、五官王(ごかんのう)、閻魔王(えんまおう)、変成王(へんじょうおう)、泰山王(たいせんのう)、平等王(びょうどうおう)、都市王(としおう)、五道転輪王(ごどうてんりんのう)。初七日から百ヶ日を経て、三回忌までそれぞれの区切りで裁きをおこなうとされる。
◆八雲神社
牛頭天王という社名が明治の神仏分離政策によって禁じられたため、素戔嗚尊にまつわる名称として「八雲神社」に改名した神社が多い。名前の由来は素戔嗚尊が詠んだとされる「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣作る その八重垣を」の歌による。(牛頭天王と素戔嗚尊との関連性であるが、『日本書紀』によると素戔嗚尊は新羅の曽尸茂梨(そしもり)から高天原へ来たとされ、この「そしもり」という言葉が、朝鮮語の「牛頭」または「牛首」に当たることから、両者の習合がなされた)
◆素戔嗚尊
さまざまな側面を持つ神であるが、ここでは「根の国」の支配者としての性格が強調されている。「根の国」は死者の住まう国であり、地獄を統括する閻魔王との共通点があるとする。
◆泰山府君
中国にある泰山を神聖視し、それに尊称を付けたもの。生死や寿命をつかさどり、生前の罪に合わせて懲罰をおこなう性格から、閻魔王と同一視される。
アクセス:神奈川県鎌倉市山ノ内