大泉寺 おかんの墓

【だいせんじ おかんのはか】

盛岡市内のほぼ中心部にある大泉寺には、不思議な墓石がある。“カンカラ石”という名で呼ばれる墓石なのだが、材質が花崗岩にもかかわらず、石で叩くと高い金属音のような音が出る。これだけでもかなり奇妙な石なのだが、この音が鳴るようになったいきさつの伝承も、それ相応に不思議な因果話になっている。

秀吉による天下統一の末期、九戸政実は反乱を起こし、南部家によって滅ぼされた。その重臣・畠山氏の息女であった“おかん”は、家来であった三平と夫婦となり、盛岡に住み着いた。三平は盛岡城築城の現場で働いていたが、事故によって働けなくなった。そのような状況でおかんに言い寄ってきたのが、建設現場で夫の直接の組頭であった高瀬軍太であった。高瀬はおかんの気品の高さに思いを寄せ、夫の事故の件を境にして、露骨に関係を迫るようになってきた。これ以上拒絶すれば夫の身にも累が及ぶと感じたおかんは、夫を殺すならば身を任せると言って欺き、自ら夫になりすまして高瀬の手に掛かって貞死した。己の非を悟った高瀬は自ら仏門に入り、おかんの菩提を大泉寺で弔ったという。

この貞女おかんの墓が、この不思議な音の鳴る墓石なのである。そしてカンカンと鳴る甲高い音は、おかんの泣き声であるとか、夫の三平の唱える念仏であるとか、そのような伝説になっている。あるいはこの不幸な夫婦二人の声が合わさっているとも言われている。

ほとんど戒名すら判読できないほど磨滅した墓石の上には、墓石を叩くための石が置かれている。しかもこの石が置かれている部分は、叩かれたために、自然のうちにくぼみができているのである。300年以上、数知れぬほど多くの人々がこの墓石を叩いてきた証なのだが、この行為がおかんに対する賞賛や供養を意味しているように感じるのである。

<用語解説>
◆大泉寺
盛岡築城時に三戸より移転。本堂は宝形式反り屋根を持ち、盛岡の文化財に指定されている。寺宝に“お菊の皿”がある(8月16日のみ公開とのこと)。

◆九戸政実
1536-1591。南部氏の有力家臣(南部氏の親類筋とも)。南部晴政死後に当主となった養子の信直と相続争いで対立し(政実の実弟が晴政の娘婿)、反旗を翻す。南部家は自力で排除できず、豊臣政権に援助を要請。約6万の兵に囲まれ、九戸城は降伏するが、籠城者全員が撫で斬りとなる。政実も斬首となる。この反乱鎮圧が、豊臣政権の天下統一最後の武力衝突とされている。

アクセス:岩手県盛岡市本町通