浄誓寺 平将門首塚

【じょうせいじ たいらのまさかどくびづか】

関東に覇を唱えた平将門であるが、その後人々がいかに慕っていたかを知る一つの目安に、将門に関する墓や塚が複数残されている点が挙げられるだろう。東京の大手町にある首塚が最も有名であるが、幸手市にも将門の首塚が存在する。

伝説によると、将門が最後の一戦に臨んだ場所が幸手であり、ここで敗れて討ち死にしたのだという。そして首が埋められた場所が現在の首塚であるとされる。さらに一説によると、埋められた首をこの地に運んできたのは将門の愛馬であったとも言われている。

この浄誓寺の近くには、将門の血で染められた木があったことから“赤木”と付けられた地名など、将門にちなんだ伝承が残されている。

<用語解説>
◆平将門
?-940。所領争いから始まった抗争で朝廷に反旗を翻し、関東を制圧した。史実として討ち死にしたのは下総国猿島郡北山(現・板東市)とされている。ただし幸手市と板東市は直線距離にして10km足らずである。

アクセス:埼玉県幸手市神明内