狩籠の丘

【かりごめのおか】

【比叡山四大魔所】という言葉は、実は比叡山の公式本の中にはない。あるのは【三大魔所】のみである。なぜか一箇所だけが公式の見解としては省かれているのである。その理由はただ一つ、そこが最も危険かつ強烈であるためである。その場所こそが“魑魅魍魎狩籠の丘”なのである。

当然のことながら、狩籠の丘に関する情報は少ない。その由来であるが、比叡山の開祖である伝教大師最澄が、都の南東(巽)にいた魔物を狩り、北東(艮)に埋めたという伝説がある。都の南東がどこであるかは明確ではないが、最澄ゆかりの北東の地といえば比叡山であることはほぼ断定できるだろう。

しかし、由来以上に少ないのが場所に関する情報である。正直なところ、火坂雅志氏の著書『魔界都市・京都の謎』だけが頼りである。それによると、狩籠の丘は西塔エリアの近く、比叡山ドライブウエイに面して、芝生が植えられた広場のような場所ということになっている。

そして最大のポイントは、高さ1メートルほどの錘形をした3つの石が約9メートル間隔で置かれており、その3つを直線で結ぶと正三角形となり、その中心に魔物が封印されているというのである。ちなみに千日回峰行をおこなう僧が真夜中にこの地を通り過ぎる時、必ずこの場所で提灯の蝋燭を取り替え、古い蝋燭をこの石のそばに置いて法華経を唱えながら去るとのこと。

<用語解説>
◆最澄
766-822。諡号は伝教大師。788年に比叡山に一乗止観院(現在の根本中堂)を創立する。その後、遣唐使留学生として唐に渡り、天台教学学んで、天台宗を開く。

アクセス:滋賀県大津市坂本本町