天梯権現祠
【てんだいごんげんほこら】
比叡山の魔所である天梯権現の祠は東塔根本中堂を下ったところにある。今でこそ比叡山へは交通の便に事欠かないが、かつてはいくつかのルートの山道が唯一の交通手段であった。この天梯権現のある場所も、坂本から根本中堂に至る『本坂』と呼ばれる重要ルートに面している。 いわば、この魔所は今でこそ観光ルートから外れた場所にあるが、かつては比叡山の表参道に近い場所にあったわけである。
根本中堂から山を下るように一本の道が延びている。これが天梯権現へ通じる道、本坂である。一応かつての幹線道路であるが、完璧な山道である。程なくして、一度転げ落ちたら止まらないのではないかというぐらい急な坂に出くわす。そして、それを下りきったところにようやく天梯権現の目印になる【亀堂】が姿を現す。
亀堂と言っても、ほとんど打ち捨てられたような堂宇一つである。本来は聖尊院堂という名なのであるが、そばにある『薬樹院之碑』という立派な石碑の下の部分に亀の像があるためにその名で通っているようである。亀堂からは天梯権現へは人の歩く道ではなく、獣の歩く道しかない。辛うじて人工的に切り開かれた獣道を頼りに歩を進める。しばらくすると、天梯権現へ向かっていることを示す石仏群が見えてきた。しかし、ここから先は獣道すらなくなる。山の斜面に風化したような石段らしきものがあるので、多分道であろうとい うことでその急な山の斜面を登る。そして斜面を一気に登り詰めたところに天梯権現祠があった。
この祠のある小高い丘には、昔から“天狗が棲んでいる”と言われていた。そしてこの小山にある大きな杉の木の上に立ち、この比叡山と中国の天台山との間を行き来していたという。実際ここの祠に祀られている神は“天梯”つまり“天への梯子”という意味の名を持っているのである。
かつてこの地には本殿や拝殿を持った社殿があった。しかし織田信長の焼き討ちに遭い、その後は小さな祠が建てられただけであるという。それが現在の祠である。そしてその社殿があった当時からこの地は魔所として畏敬の念を持って見られ、この小山の枝一本、小石一個も持ち出すことを禁じられていたそうである。
坂本から根本中堂へ抜ける山道『本坂』はその名の通り、比叡山の表参道であった。だが、京都から見ればこの幹線道は鬼門を貫いているのである。だから“魔を以て魔を制す”ものをここに配したのだと推測する。
<用語解説>
◆天台山
中国浙江省(省都は杭州)にある霊山。後漢時代から道教の聖地であったが、4世紀頃から仏教寺院が多く建てられた。575年に天台宗の開祖・智顗がここで宗派を確立させる。日本の天台宗の開祖である最澄も、この天台山で教えを学んでいる。
アクセス:滋賀県大津市坂本本町